次女の出産を機に仕事を辞めた。
それも、育児休暇を完全に取った後そのまま退職という、オキテヤブリな方法で。
(ああ、まるで働く女たちの罵声が聞こえるようだ・・・。でも辞めてしまえばこっちのもんだよ〜ん。)
しかし、さて辞めてはみたものの、生来のズボラでアバウトな性格。
そのうえ、結婚して7年間、働いていることを口実に主婦業を姑任せにしていたことが災いし、
家にいても「なにをしてよいやらわかりまへん」状態。
そのくせ、「完璧な主婦」に対するあこがれは強く、「立てば栗原はるみ、座れば近藤典子、
歩く姿は七瀬なつみ」を理想としている。
そこで私はココに宣言する。スーパー専業主婦になると。
養成ギブスでもなんでもつけてやろうじゃないの。マフィンも欠かさず読もうじゃないの。
そしてそして、近い将来必ず、完璧な主婦になってみせるのだあっっ!!
第一回 家計簿編
とにかく貧乏になった。
仕事を辞めて、何が一番変わったかと言えば、ズバリ「お金がない」ということである。
単純に考えても、夫とあわせて二人分の収入が、突然ひとり分入ってこなくなったのである。これは一大事だ。
国に雇われていたので民間のお給料とは少なめだったとはいえ、13年間(結婚してから8年間)フルタイムで働いてきたのでそれなりの収入はあった。それがなくなるということは、退職金というどかんと一発あがった花火の後の、深い深い闇のようなものだ。
さらに不幸なことに、私には経済観念が著しく欠落している。浪費ぐせがあるうえに、どんぶり勘定、いやバケツ勘定ぐらいのアバウトさで、家計を把握していた。恐ろしいことに、最近まで一ヶ月いくらあればやっていけるのか、ということさえよくわかっていなかったのである。
勤めていたときから、この行き当たりばったりの生活をなんとかせねばと思いつつ、見て見ぬ振りを重ねてきたが、とうとう現実を直視するときがやってきた。そうだ、家計簿をつけなければ・・・!
以前、同僚の女性が「パソコンで家計簿をつけている」と言っていたのを思い出し、早速夫に家計簿ソフトを用意してもらった。
世の中便利になったものだ。毎日レシートどおりに入力していくだけで、週ごと、月ごと、年間を通しての項目別支出が計算されてピタリとでてくる。そのうえ、自動的にグラフに表示され、視覚でとらえることもできてしまう。さらに、店ごとの底値までわかってしまうというのだ。これは全くスゴイ。
○月○日。○○店。食パン、○○円。食費。豚肉、○○円。あれっ?「豚コマ」とかいれたほうがいいのかな。豚肉だけだと、モモスライスとかヒレカツ用とかと区別つかなくなるしなあ。そうすると底値がわかんなくなるし・・・。うっ、本を買った代金って娯楽費だっけ?ああ、教養費かあ・・・。あれ、そうするとフィルムの現像料はナニ費・・・?
・・・不幸の要素はまだあった。私は何をしても三日坊主なのだ。
それもそんちょそこらの三日坊主ではない、大僧正クラスである。
パソコンの家計簿も、短い命だった・・・。
そもそも、超アナログ野郎の私が、パソコンで家計を管理しようと思うこと自体が間違いだった。家計簿ソフトの便利さは、あくまでも毎日の正確なデータの入力が前提なのである。
・・・やっぱ家計簿は手書きよね。パソコンでやろうなんざ、邪道よね。ちゃぶ台に正座してソロバンをはじく(実際は電卓)、これぞ、正しい家計簿のつけかたなのよっっ。
開き直っては見たものの、私はこうやって過去に何冊も、ほぼ新品の家計簿を葬ってきたのであった。しかし今回は真剣さが違う。こうしている間にも、どんどん通帳はマイナスになっていくし、レシートはたまりにたまって、私の浪費を物語っている。
とりあえず主婦雑誌を何冊か購入し、私に向いている家計簿のつけかたを研究してみる。おや、これなんかいいんでないの。大学ノートにつける方法。これだと、自分の好きなようにつけられるもんね。
いっそのこと、と、出費の分類を、食費、被服費、その他の三種類にだけ分けることにした。レシートの合計金額のみを書き込むので、食費の中に、スーパーで同時に買った洗剤や、文房具の代金も含まれてしまうのにも目をつぶった。
あらかじめ収入から、銀行引き落とし予定額は引いておく。最近公共料金等は、ほとんど自動で引き落とされるので、このあたりは非常にラクだ。あとは現金の支払い分を記入して・・・。おお、なんとか私にも家計簿がつけられたではないか!!
私にとっては大変な快挙であった。が、しかし、ここでハタと気がついた。家計簿をつけるだけでは、大赤字はなくならないのである。それをもとに、黒字になるよう努力しなければ・・・。がっくり。
スーパー専業主婦への道は(かなり)遠い
第二回 お掃除編
掃除がきらいだ。
いや、苦手だと言うべきか。
13のとき、母が亡くなった。父と兄と弟とわたしの生活がはじまった。私たちは食べていくことだけで精一杯だったので、多少の部屋の汚れは見て見ぬふりをした。
当時の父の口癖は「ホコリでは死なんでなあ」だった。
その頃、掃除と言えば「掃除機をかけること」で、年末以外はぞうきんを持つことすらほとんどなかった。掃除機さえかかっていれば十分キレイな状態なのであり、そのほかのところは気にならなかったし、気にすることもなかった。
すべて母のせいにすると、化けて出てきそうな気がするので言っておくが、もちろん「お掃除苦手」の原因の大半は自分のなかにある。悲しいかな、この無精でおおざっぱな性格。わたしにかかると、十分キレイやん、けっこうキレイやん、まだまだキレイやん、意外とキレイやん・・・・・・(手遅れな状態)、となる。
だいたい、掃除というもののあいまいな基準がよくない。いったい、どの辺からが汚れてると言うのだろう。トイレ掃除は、何日に一回行うのが正しいのか。
いっそのこと法制化してしまったらどうだろう。換気扇は何日に一回掃除するとか。冷蔵庫は何日ごとに棚を整理しつつふくとか。法律で決めてしまってくれれば、もう悩まなくっていいのだ。
もうひとつのあいまいさは、これは主婦業全体にいえることかもしれないが、やってもやらなくてもいいということにある。朝から家中をピカピカにみがきあげるヒトもいれば、換気扇が妙な音を出すようになるまで汚れ放題にしておくヒトもいる。(これは昔「投稿特報王国」でやっていた実話である。見事な汚れっぷりであった。)
どんなにキレイにしてもほめてもらえるわけでもない。逆に、少々汚れてきても普通に生活できてしまうのだ。
仕事を辞めてつくづく思うことは、仕事と同じくらいの熱意を持って家事をこなせたら、ずいぶん家の中が片づくだろうなあ、ということである。ナゼか実際はそうはいかない。
もちろん、無報酬と言うことも要因である。そのうえ、家にいてもしなければならないことはたくさんある。奥様番組を見たり、おやつを食べたり、雑誌を読んだり、通販の注文をしたり、昼寝をしたり・・・。ああなんて、非生産的な生活。
そうでなくても、5才と1才の子供がいれば、居間は散らかり放題である。片づけても片づけても、数分後には元の状態にもどっている。まるでナチスの拷問のように、永久に同じことのくりかえしだ。
要するに掃除というのは、家事の中でも「本人のやる気」が大きな位置を占めると言うことだ。それだけに、常に家をキレイにしていらっしゃる主婦のみなさんを、限りなく尊敬してしまうのである。
おそらく、「やらされている」「しかたがないからやる」と言う考え方が、私のお掃除の行く手を阻んでいるのだ。もっと前向きに、楽しんでやれるぐらいの気持ちがあれば、我が家は見違えるようにキレイになるんだろうなあ。・・・とはいうものの、やはりめんどうくさい。私の体中の血液を全部入れ替えるとか、7回生まれ変わるのでなければ、楽しんで掃除なんてできそうもない。
スーパー専業主婦への道は、ますますけわしい。
第三回 お料理編
なにをかくそう、わたしは、結婚する以前に夫にこう言われた女である。
「頼むから、俺の家の味を、ウチの母親にならっておぼえてくれ。」
・・・30年前ならともかく、今の日本に、まだこういう男が生息していたんですよ。
独学ではあったが、長い間母親代わりに台所に立っていたので、ひそかに料理の腕には自信があった。そんなわたしに、アンタよくもそういうことが言えたわね。なんやこのマザコン野郎。普通そんなこというか?新婚やったら奥さんの料理は、何でもおいしいと思うんと違うん?なあ・・・?と、叫びたかった。
実際はショックのあまり絶句してしまった。中身はなくとも、やたらプライドが高いざかりの20代の女に、間違っても言うことではない。今でもそう思う。その証拠に、本気で結婚を白紙に戻すことまで考えた。こんな男とうまくいくのだろうか。
結婚というのは、そう決めた瞬間から下り坂を転がり落ちるようなものだ。ぞれぞれの親に報告したぐらいから加速がついて、あとは、本人の意思だけでどうこうするというものではなくなってしまう。
わたしも、気がついたら夫の家でくらしていた。姑と義弟つきだった。
当時は働いていたので、夕飯の支度は姑がしてくれることになった。そして知った。姑は料理がめちゃめちゃ得意なのだ。
はらわたが煮えくり返る思いをしたことも忘れ、あっさり白旗をかかげた。かなわないものはかなわないのだ。
そして、休日や育児休業中にみっちり料理を教わった。それこそ、ダシの取り方や湯むきの方法、野菜の切り方など、基礎の基礎からやりなおしだった。もう、格好つけていても始まらないので、ちょっとしたことでも姑に聞き、何でもまねをした。
自分でも、あまりの素直さに感動した。ちょっと奥さん、こんなにけなげなお嫁さん今時いてはる?
前置きがずいぶん長くなったが、このような経過をたどって今に至る。
そしてこのたび、ずっと家にいるようになった。毎食私が、料理を作らなければならない状況になったのだ。
おまけに収入が減ったので、材料費を安くあげなければならない。
しかし、最近ようやくわかってきたのだが、主婦の料理というのは、制約が多いからこそおもしろい。文字通り、腕の見せ所なのである。
できるだけ安い予算で、家族の好みも頭に入れつつ、栄養のバランスを考えながら、時間以内で仕上げなくてはならない。もちろんおいしく。
たとえば今晩のメニューは、豚肉のショウガ焼きだ。結婚当初姑に習った方法は、ベーシックなタレにつけて焼く方法で、つけあわせにサラダ菜、と言うカンジだった。それを徐々に変化させてゆき、8年目の今では、タマネギとシシトウにあらかじめ火をとおしておき、タレをつけて焼いた豚肉にからませる、というのが定番になっている。その豚肉も、最初はリチギに「ショウガ焼き用」を買っていたのだが、子供が食べやすいと言うこともあって最近は、「ローススライス」になり、今日はとうとう「豚ロース切り落とし
」にまでなってしまった。特製ショウガダレにつけ込んで焼き、野菜をからませてできあがり。義弟が、
「なんか、今日のショウガ焼きおいしいなあ」
と言ってくれた。
うぷぷ。だまされてるだまされてる。
安いお肉でおいしくしあげる。これぞ主婦のウデだ。
今日は私の勝ち。
最近は、キーマカレーや生春巻きなんかにも挑戦してみたがいずれも好評だった。
家族の好みを知っているからこそ、新しい料理にも挑戦できるようになった。
スーパー専業主婦への道は近い!?
第四回 育児編
少し前のことになるが、テレビを見ていたら「最後の独身大物俳優」と言われていたヒトが、結婚の記者会見でこんな意味のことを言っていた。やはり俳優だった父(超美形!)が早逝したので、
亡くなった年齢を超えるまでコワくて結婚できなかった・・・・と。
それを見ていて、「ああこの人も私と同じだ」と思った。
私は結婚こそはしたものの、常に、母親の亡くなった年齢までしか生きられないのではないか、と言う呪縛にとらわれてきた。母が他界したのは43の年。それでいくと、私にはあと10年しかないことになる。
父親の方は、63才で存命中なので、できればそっちに似ていて欲しいと祈っているが、もし仮に、あと10年しか生きられないとしたらどうだろう。
仕事をやめるかどうか悩んだとき、最後にこのことが頭に浮かんだ。
ただでさえ、自分は愛情表現がヘタクソな母親である(このあたりは母親似だ)。もしこのまま仕事を続けていたら、10年後に後悔しないだろうか。自分は母親に愛されていたと、自信を持って言える子供に育てることができるだろうか。
実は、ほとんど辞めざるを得ない状況にあったので、これは自分をナットクさせるための口実だという気もする。しかし、こんな不器用な母でも、そばにいて姿を見ていてやりたいと思ったのも事実だ。
わたしには、5才と1才3ヶ月の二人の娘がいる。長女は保育園に通っている。次女は、よちよち歩きでかわいいさかりだ。長女のいない昼の間に、近くの公園に散歩に出かける。
木陰の芝の上にすわって、とことこ歩く娘の姿を見ていると、家庭に入った幸せを感じる。長女の時は、よくこんなかわいい時期に、ヒトに預けて仕事に行けたなあと、つくづく思う。
長女は、三歳で保育園に入れるまで姑に見てもらっていたので、仕事から帰ると、「今日こんなことができるようになったよ」「今日こんなこと言ったよ」と、ひとつひとつ報告してもらっていた。しかし内心は、自分の子供の「はじめて」を、人の口から聞くのではなく、この目で発見したかった。自分が好きで働いていたので、そういう喜びを最初から放棄していたはずだったが、常に、どこかで寂しさを感じていた。
ところが今度は違う。ずうっとそばにいてやれるのだ。のんびり。おさんぽ。ごろごろ。砂遊び。水遊び。まったりとした娘との蜜月・・・のはずだったのだが・・・。
専業主婦というのは、思った以上に忙しい。特にウチは、姑と義弟が同居なので、今日のお昼はてきとーにすましておこう・・・というわけにはいかない。そのうえ、娘のお昼寝の時間を確保しようとすると、お散歩にいくことさえままならない。
さらに気付いてガクゼンとした。時間の密度が明らかに違うのだ。
長女の時は働いてはいたけれど、仕事から帰ってのわずかな時間を、テレビも消して娘と遊ぶのにあてた。30分あるかないかの短い時間だったが、とても大切にしていた。
ところが今はどうだ。いつでも一緒にいられるのをいいことに、しっかりと向き合って遊ぶということがなくなった。だらだらと、テレビを見ながら適当に相手をするようになった。娘たちにとって、本当に幸せなのはどちらだろう。
やめてからまだわずかしかたっていないのに、一緒にいられることの喜びを忘れかけていた。働いていた頃は、家にいたらあんなこともしてやろう、こんなことも一緒にできるのに・・・と思いめぐらせていたはずなのに。
十年間を大事にしようと思った決心は、いつの間にやらどこかに行ってしまった。
今の自分は、働いていた頃の自分に申し訳ないような気がする。
スーパー専業主婦は、子育ても器用にこなすんだろうなあ・・・。
第五回 嫁姑編
「ねえ、やめたらお姑さんとずっと顔をつきあわしてなあかんやろ?だいじょうぶ?」
やめるにあたって同居の私は、みなさんに、少なからずこういう心配をしていただいた。こういうことを聞いてくるヒトは、間違いなく本人も渦中にハマっているヒトだと私はにらんでいる。
答えはこうだ。「ウチは大丈夫です」
もし、「日本仲良し同居嫁姑ランキング」なるものがあったとすれば、間違いなく10位以内には(20位・・・やっぱ50位ぐらいかなあ)ランクされるはずだ。世界ランキングでも100位はかたいだろう。
もしも、仲の良い嫁姑というものが存在すれば・・・の話であるが。
嫁と姑は仲が悪いものである。
かなり矛盾したことを書いているが、コレはしかたのないことだ。だから、前記の「日本仲良し同居嫁姑・・・」は、正しくは「日本うまくいっている同居嫁姑・・・」なのである。これは、ひとえにお互いの8年間の我慢のたまものだ。
実際、私も一人目を出産直後、育児にあれこれ口出ししてくる姑に、軽い殺意を感じたこともあった(どのへんがうまくいってるの)。自分が特殊な精神状態にあることも、姑が悪気があって言っているのではないということもわかっていたが、それでも自然にわき上がってくるいらだちを押さえるのは、容易なことではなかった。
そこで私はこう考えることにした。コレは私たちのせいではない。DNAのなせるわざなのだ、と。
人間はDNAの乗り物なのだそうだ。そしてその役割は、子孫を残し、次から次へと次世代にDNAを伝えていくことなのだ。それゆえ、私たちの感情は、知らず知らずのうちにDNAに支配されている。
つまり、私たちが子供をいとおしいと思い、大切に育て、それを妨げる者には敵意を抱く・・・というのは、まったくヤツらの思うツボなのだ。
想像しやすいようにビジュアル化してみると、私たち人間がガンダムで、DNAがアムロ・レイだ(若いみなさんゴメンナサイ)。私が自分の感情で姑をうとましく思っているときも、実は、コックピットの中でDNAのヤツが「ムカつく光線発射!」なんてやっているのだ、そう思うことにした。
今から思うと、こういう考え方をしなくてはならない精神状態そのものがかなり尋常ではない。しかし私本人は、当時大まじめにこの考えにすがっていたのだ。
さて、現在の話に戻るが、私が働いていたときよりも、一日中顔をつきあわせている今の方が姑の態度が軟化した。おもえば、一日中子供の面倒を見てもらい、その上大半の家事もさせていたことは、姑にとって大変なストレスだったに違いない。それらの責任から解放されて、姑の表情まで和らいできたようだ。申し訳ないことをしてきたものだ。
しかしココで油断してはならない。
所詮私たちはハブとマングースで、家というせまいオリの中、笑顔の下で相手の出方をうかがっているだけなのだから。ちょっとスキを見せれば、一触即発、ケンカ別れにならないともかぎらない。
しかし、どうせ天敵同士の間柄なら、立派な好敵手になりたいものである。
私にとってのスーパー専業主婦のお手本は、実は我が家の姑にほかならない。いつかは姑のような主婦になれるときがくるのだろうか。
おや、敵に塩を送ってしまった。DNAが見過ごしていたらしい。