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あれはいつのことだったのか・・・
そうあれは遠い遠い夢か幻のような恋。
いや、恋と呼ぶにはあまりにも未熟な恋未満のエセ恋。
わたし(まり)と、卓也(彼)が知り合ったのは3年前の春。
夫の会社の後輩としてホームパーティーで紹介された。
そのときは単なる夫の後輩としてしか卓也を見ていなかったし、
彼もわたしを先輩の奥さんとしか見ていなかった。
そこに何も生まれようがなかった。
誰も何もおこるなんて考えもしなかった。
けれども、その年の夏、夫の会社のバーベキューパーティーで
わたしたちの心に微妙な変化がおこった。
そのパーティーは、山中湖のバンガローを貸しきって会社の有志で
夏のイベントとして開催されたものだった。一泊二日の親善旅行という
わけだ。
ひと昔前の小学校の林間学校でもあるまいに、その晩はキャンプファイアー
などで何故かみんなそれなりに盛り上がっていた。
ひさしぶりに遠出したまりはいつになくハイな気分になっていた。
アルコールは弱いので夫の会社の同僚には今1つ溶け込めなかったが
夜空にきらめく星空を見ながら、湖のほとりで深く大きくそして静かに
深呼吸をした。
《都会とはちがってやっぱり澄んだ空気はいいわ。それにこんな星空東京じゃ
見られないもの。》そう心の中で自分を満足させようとしていた。
「うお〜!」
何を思ったのか突然大声で叫ぶまり。やはり夫の会社の仲間には気を使って
精神的に疲れていたのだ。はるか遠くのほうでは相変わらず酔っ払ってできあがった
面々が飲めや歌えやの大騒ぎをしている。
すると暗闇の彼方からなにやら声が聞こえてきた。
「ははは・・・やっぱりまりさんもこちらでしたか?」
《なに?なに?おばけじゃないわよね。だれ?》
小心者のまりは気が気じゃない。何しろ、暗闇の彼方から聞こえてきた声なのだから・・・
「ははは・・・驚かせちゃったかな?僕です。牧村です」
「ああ〜牧村さんだったんだ。ほんと、びっくりしましたよ」
「いや〜僕目がいいので、すぐにまりさんだって遠くからわかっちゃいました」
「は・・・はずかしい。それじゃ叫んでいたのも聞いちゃったわけ?」
「はい。しっかりと・・・動物園っぽかったけど・・・あれはゴリラのおたけびか?」
「こら・・・ちょっとストレス発散していただけよ。みんなには内緒だからね」
「らじゃ〜です」卓也はちょっとおどけて敬礼のポーズをとってみせた。
会社部外者であるまみの気づかいやそれゆえの気疲れが手にとるようにわかっていたから
だ。彼女を少しでも、和ませようとしていた。そして、まりも自分の本心をしっかりとキ
ャッチしてくれた卓也に不思議な力で引き寄せられるようだった。夫は相変わらず飲めや
歌えの大騒ぎ・・・まりの存在など気づいてもいないようだ。
「牧村さんは富良野だっけ?」
「そうです。北の国からで一躍有名になったあの富良野ですよ」
「一回だけいったことある。ラベンダー畑に感動したわ」
「ああ〜ラベンダーね。女性はだいたいあの場に連れて行くとうっとりしていますね」
「なんていうかな〜何もない・・・空の青さと一面のラベンダー・・・あれが最大の魅力ね」
「おお〜い?そこのさぼり〜早く戻って来い」夫が大声で叫んでいる。
「見つかっちゃったわね。じゃあ、合流しますか」
「そうですね。余興でも見せないと怒られそうだな」
それからふたりは、駆け足でキャンプファイアー組に合流した。
あいかわらず、満天の星空はこの上なく美しかった。
その後、一年をとおして秋の運動会やらお月見。冬の忘年会等々。なにかと会社の有志に
よる行事が目白押しだった。そんな中で、卓也とまりは顔をあわせる機会がたくさんあっ
た。いつでもどこでも連絡をとって、会おうと思えば会える距離にいた。
だが、ふたりは知っていた。
お互いに、わかっていた。
ひかれあうふたりは決して結ばれぬ運命にあることを・・・
けれども、そう思えば思うほど、自分の感情を押し殺せば押し殺すほど
相手への思いが切ないまでに募ってくる。
募る思いを日々周囲に悟られまいとしながら、必死でふたりはお互いを
思いあっていた。
携帯の番号も知らせず、知られず。
メルアドも知らせず、知られず。
ただ、お互いのイメージの中でのみ結ばれるふたり。
手を伸ばせばすぐ届いてしまうような、もっとも近い距離にいるのに
触れ合うことすらしない。いや、できない。すべてを拒絶しているふたり。
理性と格闘しながら、それでもひかれあうふたり。
でもふたりの中である事件がおきた。
暑気払いの宴会場のテラスで、まりは夕涼みをしていた。
卓也がそれに気づいて、みんなが他で酔っ払っているのを確認して
そっと近寄っていった。
「あいかわらず逃げ足はやいな〜まりさんは・・・」
「卓也くんだって、おなじようなものじゃない」
「そりゃそうなんですけど・・・」
「でしょ?」
「まりさん。十和田湖の乙女の像って知ってます?」
「ええ。たしか修学旅行で行ったわ。十和田湖に映えて美しい像よね」
「右手のてのひらをあげてみてください」
「え?何?こう?」
「そうです。はい。じゃ〜ん。乙女の像ごっこ。ははは」
卓也が照れ笑いをした。はじめてお互いに触れた瞬間だった。
卓也の大きくて暖かい手のひらと、まりの手のひらが重なった瞬間。
今までになかったような幸福感と絶頂感がふたりに訪れた。
《これでいい。やっと、ふれあうことができた。もうこれで十分だ。》
お互いに同じことを心の中で感じとっていた。
そう・・・もうこれ以上の幸福はないのだ。
そしてそれを思い出にして、もう二度とふたりは触れ合うことはなかった。
けれども、その日を境に、ふたりは実際の会話よりも、目と目のアイコンタクトが
多くなった。
すれちがう瞬間に視線と視線を絡ませてお互いの存在を確認しあった。
《元気そうだね》
《ええ。元気よ》
《じゃあ。また》
《ええ。またね》
それが、ふたりだけのお互いの愛し方だった。
誰もキヅツケズ。
誰も裏切らず。
誰にも知られず。
そして、誰にも理解されぬであろう恋。
それから3年後。ふたりの愛は終結した。
卓也が青森に転勤になったのだ。
営業所次長という大出世。
どちらから終わりを告げるでもなく、
どちらからさよならするでもなく、
そして静かに1つのPureな恋が幕を閉じた。
この世に永遠の愛があるのならば、おそらくは
卓也とまりの愛が本物の愛かもしれない。
決して、触れず
決して、会わず
心だけ行き来させる恋。
それだけでこの上なく幸せな恋。
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