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携帯電話の着信音が鳴った。
寝ぼけ眼に飛び込んで来たのは、テーブルに散らばったビールの缶と、食べ残したおつまみの袋だ。起き上がろうとすると頭がガンガンする。何時なんだろう。時計を見ると午後2時を過ぎている。脱ぎ散らかした洋服の隙間を探してやっと電話を見つけた。
「だれ?」着信相手も確認せずに電話を取った。
「俺だよ。ケンジ。」
「ああ…ケンジか。」
「今日何やってる?」
「…寝てる。」
「久しぶりに飯でも食いにいこうぜ。6時にそっちに行くから。じゃな。」と電話が切れた。行くって言ってないのに。ぼそっとつぶやいて、私はそのまま布団にもぐりこんでまた寝てしまった。
「もう3年だぜ。」ケンジが食事をしながら大きな声で言った。
「美里。もう忘れろよ、あんな奴のことなんか。」
「わかってるよ、そんなこと。でもしょうがないでしょう。記憶を消し去る事なんてできる?自分の感情を押さえる事なんてできるの?時間が解決するだなんてそんなの嘘ね。どんどん思い出が膨らんでくるのよ。自分でもどうしようもできないのよ。」
私がそう言って一気にまくし立てるとケンジは黙りこくってしまった。それから私たちは何もしゃべらず食事を終え店を出た。
外は少し冷たい風が吹いていたが、空を見上げると星がいくつか見えた。ケンジと私は幼なじみでいつも一緒に遊んでいた。幼い頃はこんな風に二人でよく空を見ていた。年頃になってお互いに恋人ができても友情に変わりはなく、それぞれの恋人が嫉妬するくらい私たちは仲がよかった。それが3年前、私が妻子ある男性と恋をしてから、関係が変わってしまった。私の不倫の恋人が、ケンジと私が会うのを極端に嫌がったのだった。私は彼の事をとても愛していたし、彼も奥さんと離婚をして私と一緒になると約束してくれたので、私もケンジと会うのをやめたのだった。ケンジは初めは不満そうだったが、私の恋人に遠慮して会わないようにしてくれた。私は恋人と半同棲のような暮らしをはじめ、幸せの絶頂にあった。彼の他に誰もいらない、と本気で思っていた。でもそんな暮らしもいつまでも続かなかった。彼は奥さんに子供ができたんだと言って、さっさと私の元を去って奥さんとの生活に戻ったのだった。それからの私は抜け殻のようだった。私の生活から彼以外の全てを排除して彼を愛したのに、彼はそんな私をあっさり捨てたのだ。
「寒くないか。」ケンジが言った。
「大丈夫。」私は答えた。
そして私たちは黙ったまま夜道を歩いた。ケンジとは何も話さなくても、一緒にいるだけで安心できた。昔からの私を知ってるからだろうか。かっこ悪い姿も見せてるからだろうか。こういう人はケンジだけだ。
「コーヒーでも飲んでいく?」ケンジはいつも食事の後、私のマンションでコーヒーを飲んで、酔いを醒ましてから帰るのだった。
「今日はやめとくよ。」
「どうしたの?」
「………。」
ケンジはだまったまま、私の方を振り向き、突然私を強く抱きしめた。
「ケンジ?」ケンジの腕が私の体に巻き付いていた。息苦しかったが、それがやけに心地よかった。こんな風にケンジの体に触れるのは始めての事だった。それからケンジはポツリポツリと話しはじめた。
「美里に会えなくなって自分の気持ちに気がついたんだ。俺は美里が好きだったんだって。ずっと一緒にいて、いつも近くにいたときにはそれがわからなかった。この3年間俺も苦しかった。美里に会えないことや、自分の行き場のない気持ち、そしてなにより美里が今でもあいつを愛していることがつらかった。
もう忘れてくれよ、今までのこと全部。いや、忘れられないならそれでもいい。俺を愛してくれ。俺の気持ちを受け入れてくれ。」私を抱きしめたまま、ケンジはそう言って泣き出した。すすり泣く声を聞いて私も涙があふれてきた。それでも頭は混乱していた。私はケンジのこと、男としてみたことがなかったからだ。物心ついたときから側に居て、それはあたりまえのことだった。恋をして、うれしかったり悲しかったりしたこと、何でも話した。二人の出来事全てを二人で共有していた。どんなにつらいことがあっても、失恋しても、ケンジがいれば私は救われていた。私もこの3年間ケンジのいない生活を送っていた。恋人とうまく行ってるときは良かったけれど、別れた後はどん底だった。こんな思いはしたことなかった。ケンジがいなかったからだ。ケンジと会わなくなって私はどんどん不安定になっていった。私はケンジがいないとダメなんだ。ケンジの腕の中で私もひとしきり泣いた。涙が出るたびに、体の中のどろどろした感情が外に流れ出るようだった。全部からっぽにしたかった。真っ白になりたかった。
真っ白になってケンジを受け入れたいと、そのとき初めて思った。
その晩、私たちははじめて男と女として一晩を一緒に過ごした。朝、目が覚めると外は日差しが眩しく輝いて鳥達のさえずりが部屋まで聞こえてきた。まだ眠っているケンジの顔は日の光を浴びてキラキラしていた。私たちは今はじまったばかりだ。かけがえのない大切な存在を得て、私はもっと強くならなければ、と心に誓った。
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