いくらなんでも  エッセイ  kaorin


・・・・いくらなんでも、限度があるでしょう??と、いいたい位のことになっている。正直言ってうんざりだ。

↑を読んで「ああ、色々あるのね」と思っていただいた方には申し訳ないのだが、シュミでやっている「家庭菜園」の‘きゅうり’が採れすぎなのだ。

我々夫婦、子供はまだなので夫婦二人+わんこ一匹。このメンツでは毎日10本ほど採れる「きゅうり」がさばき切れない。勿論ダンナの会社あたりや親戚にも配るのだが、いかんせん常に「きゅうり」 名刺代わりに「きゅうり」 おはようの挨拶の代わりに「きゅうり」だ。

こうなってくると我々夫婦もカッパ寸前である

───ひょっとしたら頭の上にお皿が出来ているかもしれない───

最近では日本人の主食は米なのかきゅうりなのか、そんな素朴な疑問を抱く始末である
少し前、川島なお美が「私の血はワインで出来ているの」といったそうだが、こちらはさしずめ「私の体は、きゅうりで出来ているの」といった風情である。しかも、「私ってばきゅうり夫人!?(笑)」というべたべたな一言も口をついて出てくるようになった。ある意味笑いにも投げやりである

しばらく我が家の食卓は「きゅうり」が幅をきかせるんだろうな。とほほ。