ハラキリ娘付き添い体験記 エッセイ  南雲 彩織


 どんなところであっても、育児の日々にたいした違いはない。食べさせ、遊ばせ、寝かせ、ばたばたと日々は過ぎていく。
 シンガポールは外国とはいっても、日本の情報、食品、書籍などなど何でも手に入り、三百万人の総人口に対して、一万人の日本人が住む異国の中の日本とも言えるような場所だった。 だから生活の不自由は全くないと言ってもよく、ひたすら暑い三百六十五日と、いたるところに出没するヤモリ、ゴキブリ、クモ、アリといった南国のゲテモノ類との共棲に慣れてしまえさえすれば、トロピカルの風に吹かれて過ごす駐在員生活の日々は、優雅であるとも言えた。 それでもとまどうことはたくさんあった。長女の手術はその最たるもの。終わってみればたいしたことでもなく、世の中この程度で大騒ぎしていては笑われてしまうだろう。 だが、当時中学一年生の長女の異国での手術はやはりわが家の一大事だった。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 娘がハラを切った。正確には切られた。もちろん三島由紀夫のあれではない。医学的必要性に迫られての手術である。 「これはほうっておけませんね。切りましょう。」という予期せぬ診断に、動揺を隠せぬ私たち親子を前に、ベテラン産婦人科医Dr.ゴードン・タンは、あくまでにこやかに 「シュジュツ イツ シマスカ?」と流暢な日本語でお尋ねになられたものだ。
  そう、娘はまだ十二歳だというのに、らんそーにできものが発見されて、産婦人科のお世話になることになったのである。 らんそー?できもの?切る? そんなことして、将来子どもはちゃんと産めるんだろうか? 素人の母親は咄嗟にかような連想をめぐらせて瞬時には気持ちを立て直せない。
  思い返せば、二歳の時の『二メートルの高所からのコンクリート床面真っ逆さま落下血だらけ救急病院かつぎこみ騒動』を皮切りに六歳の時の左腕骨折。十一歳の時の右腕骨折。その他手足の捻挫数回。数え切れないすりむき傷。 まったくトラブルの多い娘ではある。 しかもトラブルは常に他のトラブルと重なるという法則がある。 深夜に弱冠二歳のチビが、脳神経外科専門病院でCT検査を受けるハメになった夜、生後四ヶ月のさらなるチビは、夕刻より九度五分の熱をだしたりする。 六歳の骨折はもちろん夏のお盆休みの真っ最中におこり、外科の休日診療機関を探すのは朝飯前とは言い難い。 骨折の痛みとショックで顔面蒼白になっている娘を前に、整形外科医と結婚しなかったわが身を呪うのはこういう時だ。 そして十一歳の骨折と今回のハラキリは、外国でのエキサイティング イクスピィリエンス。 日本であっても、子どものけが、病気に親はあたふたする。 まして、外国である。戸惑いはさらに大きい。言葉の問題もさることながら、医療システムの違いにいちいち驚かされるからだ。 もっとも、シンガポールのシステムは、慣れてしまえば日本よりもはるかに合理的で快適だ。
 日本で感じる病院というものへの、ある種の敷居の高さを感じないで済む。 そして、単にシステムが違うだけではない。医者のイメージが全然違う。 まず、医者は白衣を着ていない。そして診察室には家族の写真やら、高価そうなオブジェやらが、飾りだなに所狭しと並べられ、一見普通のオフィスのエグゼクティブの部屋のようだ。 待合室には、キャンディーボックスと冷水器が置かれ寛いだ雰囲気。扉を開けたとたん「お、ここは病院」と思わされる日本とは随分と違う。
  女医さんは色あでやかなスーツでビシーッと決めていたりするので、それを見ているだけで、こちらの気持ちが元気になる気さえする。 病院に行って白衣の医者と対峙しただけで、 「ああ、わたしは病気なのね」と気が滅入るのは、きっと私だけではあるまい。 白衣をきていないベテラン産婦人科医Dr.ゴードン・タンが言う。
  「ユーハヴ トゥー オプションズ ワン イーズ ほにゃららら、ジ アザー イーズ カット 五センチミーターズ うんたらかんたら」 要するに手術時間は長くかかるが小さく三個所切って腹腔鏡で処置する方法と、時間が短く傷もひとつで済む大きく切って処置する方法があるということらしい。 どちらにしても痛そうである。
  しかし仕方がない。できものをほうっておく訳にはいかないのだ。 「マイ リコメンデーション イーズ・・・・」Dr.ゴードン・タンご推薦は、間をとって二センチ切る方法。 五センチ切るよりも時間はかかるが、後の回復が楽だという。腹腔鏡は手術時間が長くなるし、場合によってはできものをとりだせないこともあるからお薦めできないという。
  「ドシマスカ?」 どうもこうもない。ベテラン産婦人科医のご宣託である。先生の言うとおりにお願いしますと頭を下げたのだが、実はそれが間違いであったと、後で知る事になる。
  「ほかの医者にもみせた方がいいわよ」 在星十年になる海外生活もベテランの友人のアドバイス。ちなみにこの友人の小学生のお嬢さんもこの前の年、らんそーにできものができて、Dr.ゴードン・タンのお世話になった。あらゆる意味での先輩だ。
  「こっちの医者はすぐ切りたがるのよね。」 そんな、医者の好みで決められては困る問題だ。 自分のことは自分で決める。シンガポールでは治療法だって患者が決めるのである。最近は日本でも一般的になってきた、セカンドオピニオンをあおいだ上での意思決定。 日本では個々の病院で保管されるレントゲン写真もシンガポールでは患者が保管する。
  だから、娘の骨盤やら、膀胱やら、卵巣やらが写ったフィルムを携え、私は別の医療機関でセカンドオピニオンのコンサルテーションを受けた。 そして達した結論は、たとえ手術時間は長くなっても、腹腔鏡での処置の可能性があるなら、そちらを選択すべしということ。
  手術時間は普通に切れば二十分。腹腔鏡なら四十分。 切れば三日間の入院。腹腔鏡なら日帰りが可能。 たったこれしか手術予想時間が違わないなら入院せずにすむ腹腔鏡の方がいいに決まっているではないか。 再び、ベテラン産婦人科医Dr.ゴードン・タンの元を訪れ、腹腔鏡での処置の可能性について相談してみれば何のことはない。
  実にあっさりと、 「ダイジョブ フッコキョー オーケーね。」 「マイ リコメンデーション イーズ」はいったい何だったのだろうか?? そんなこんなで日本とは勝手の違う医療のあり方にとまどいつつも『十一月十一日午後一時オペレーション』というのが決定された。
  おお、『一』が並んで縁起がいい! などということは、もちろん、いまだ動揺がおさまらない娘にとっては、どうでもいい数字の単なる偶然の一致でしかなく、私にしてもこの日付の数字が意味することはただ一つ。末娘の幼稚園のお迎え時間である午後二時三十分には間に合わないということだ。 したがってこの日は何があっても連れ合いに会社を抜け出してもらって末娘のお迎えに出てもらわねばならない。
  「いい?忘れないでスケジュールにいれておいてね。十一月十一日午後二時三十分には自宅に帰る。絶対に忘れないでね。絶対よ。わかった?」 しつこい程に念押しするのは、夫を尻に敷いてのことではない。  もともとおおざっぱにできている性格の夫。緻密な頭脳労働は元来苦手。自分のもっとも不得意とするところを、よりにもよってもっとも強く要求されるような職場環境にあって、相当無理して仕事をしているのであろう。
  家に帰ってくるとその張り詰めていた神経が一挙に解かれてしまうらしい。およそ職場の方々には見せられない、くつろぎきった姿をさらす。 鼻に詰めておいたティッシュの存在を忘れて啜ったコーヒーが、ティッシュを伝って花の中に入り、ヤケドをしそうになったり、コードレスヘッドフォンをつけたまま耳掃除の綿棒を耳に突っ込もうとしたりと、見ていると目が丸くなる怪しげな振る舞いが多い。 家では人の話もほとんど上の空。
  ぼんやりとしか聞いてないから、絶対に忘れてもらってはこまる、例えば子どのも運動会の日程については、仕事中にメールを入れて「すぐにスケジュールに書き込んでおいてください」と頭がお仕事モードの時に伝えないと、まずは頭にはいらない。 「ホントにこれでちゃんと仕事できているのだろうか??」と夫の職務遂行能力に疑問を抱く事もしばしばだ。 「会社では見違えるようにシャキッとしてるんだ」と偉そうであるが、そんなの当たり前であろう。見違えるようでなければ、とうの昔に会社からお払い箱だ。
 私にぎゃんぎゃん叱られているぼーっとした長女を見ていると、せつなくなるのだと言う。 自分にそっくりで、まるで自分が叱られているようだと言うのだ。
  え?長女とそっくり? 大人と子ども、男と女という違いが隠れ蓑になっていたが、夫と長女はそっくりであったのか。 夫がいかに自分に無理をして仕事をしているかが偲ばれ、その涙ぐましい努力の程には頭が下がる思いがする。
  それはともかく。 こうして、病院のスケジュールを押さえ、夫のスケジュールを押さえて迎えた当日。 そもそも最初からいささかおかしいとは思ったのである。手術当日の指定された来院時刻は午前九時。オペの四時間も前である。早すぎるのではなかろうか? しかし何といっても、お医者様のご指定だ。手術ともなればいろいろ準備に時間がかかるものなのかもしれない。
  きっかり九時に手術受け付けカウンターに娘といっしょに、雁首揃えて出頭してみれば、何のことはない。やっぱり早すぎたのである。 「オー!ユー カム ソー アーリー!!」 (お前達はなんて早々ときたんだ!!)  何という勝手な言い草であろう。 受け付けを済ませ、簡単な術前のチェックを済ませ、すぐに個室に案内される。十二時三十分になったら手術室に移動するから、それまでに病院から支給された服に着替えて待っていること。あと、へその掃除をしておくことと、オイルに浸した綿棒を三本下さって、「どうぞごゆっくり」と場違いな挨拶を残し、看護婦さんは部屋を出ていってしまわれた。 時計の針はまだ九時三十分。三時間もここで何をしろというのであろう。
  しかも手術前なので飲食は禁止である。娘の手前私だけコーヒーという訳にもいくまい。 一応の時間潰しは持ってきていたが、こんなことならもっと家でゆっくりしていたかったと、あわただしかった朝のことを私は思い出していた。
  当日の朝食は午前六時までに済ませて下さいという注意を最初から破り、寝起きで食欲わかぬ寝ぼけ眼の長女が無理やり朝食をつめこみ終わったのが、午前七時。 小学校に行く真ん中の娘の弁当を作り、スクールバスの出発を見送りにコンドミニアムのゲート外まで出たのが午前七時三十分。 いつもはすぐに来るバスが、やはりこういう忙しい朝に限って十分も遅れてやって来て、一分が惜しい私が慌てて家に戻れば、末娘を一人家に残して会社に出かけてしまう訳にいかない夫が、私の帰りを待ちかねて、入れ替わりにあわただしく出勤。 家の中に漂う常ならぬ慌ただしいけはいに、末娘はいささか舞いあがり気味。
  「きょうは パパのおむかえなんだよね」と朝から五分おきに確認してくる。 こちらの気持ちに余裕が無い時の、小さい子どものこういう際限のない、同じ問の繰り返しほど、母親をいらつかせるものはない。  忘れ物は無いか?段取りにもれはないか?と忙しく頭を回転させつつ、片づけに家中を走り回っている途中で差し挟まれる「きょうはパパのおむかえなんだよね」に、にこやかに応対していられるのは、三回目まで。
  四回目になると、応える言葉にトゲが含まれるようになり、母の言葉に含まれたトゲのせいで、余計神経質になった子どもは、ますますうるさく確認を繰り返し、まとわりついてくる。悪循環の見本である。 それでも、そんなことに今朝は構ってなどいられない。私はとても忙しいのだ。午前九時には病院に行かねばならぬ。 朝食後、またベッドにもぐりこんでしまった長女をたたき起こし、末娘の幼稚園の身支度を整えてやり、最後に自分の身繕いをする。 急がないと八時三十分の幼稚園バスに間に合わない。口紅引いて、さ、でかけましょう・・と化粧台の前から立ち上がった時、私の洋服の裾を引くものがある。
  振り返れば末娘。半べそである。 「えっとね、えっとね・・・」 しゃくりあげるその唇が腫れて血がにじみ出ている。わが家の床は大理石。常日頃靴下を履いたら滑るから走ってはいけないと言い聞かせていたのだが、舞い上がっていた末娘はそんな注意をコロリと忘れ、走って滑って転んで顔面を床に打ちつけて、唇を切ったのである。 なんてことだ!! 普通の時であればスクールバスに乗せずに 自宅でしばらく様子を見た上で、あとから私が幼稚園に送っていくこともできる。 しかし、いかんせん、今日は時間がない。末娘には是が非でも幼稚園にバスに乗って行ってもらわねばならない。そして九時には長女と病院に着いていなければならないのだ。 歯は折れていない。唇の傷も浅い。他に外傷はない。
  それだけを瞬時に見て取って、 「これで唇おさえてなさいっ、すぐ血はとまるから」とティッシュを渡して、半べその末娘を叱咤激励しつつ、荷物をかき集めてあわてて玄関を出る。 ただでさえぎりぎりだったのに、直前のドタバタでますます時間がない。 「ぼけーっとしてないで、エレベーターぐらい呼んでおきなさいっっ」 手術前の緊張のせいか、いつも以上にぼんやりしている長女を叱り飛ばし、 「まったくこんな時に怪我なんかしてっ」 と五歳の唇を腫らしている幼子に八つ当たり。鬼のような母である。 コンドミニアムのゲートのところで見切り発車をしそうになっているスクールバスに転げ込むようにして娘を押し込み、唇の傷に気づいた添乗員に「たいしたことない、オーケーね」と有無を言わせぬ勢いで告げて「いってらっしゃーい」とやっかい払いをするがごとくのお見送り。 私の目には、ことさらのろのろとしているようにしか見えない長女をせきたてて車にのせ、アクセルをふかす。
  信号待ちで携帯を取り出し、幼稚園に電話。 担任の先生に娘のけがの件を伝えてフォローを頼む。 「実は、長女の手術でこれから病院で、時間がなかったんですっ」 そんなこと先生の知った事ではない。身勝手この上ない話である。
  おまけに通園カバンに給食セット(フォーク、スプーン、箸、ナプキン)を入れ忘れたのを思い出し、なんとかしてくれるようあわせてお願いをする。私の急いた口調に気おされている向こうの様子を察しつつも 「そういう訳ですから、すみませんがよろしくお願いしますっ」 とこれまた有無を言わせず電話を切る。 信号はとっくに青。片手運転は危険だ。 時間は守らなければいけないという刷り込みは、こういう時一段と私の意識を縛る。五分、十分遅れてどうということはないとなぜか思えなくなり、九時までにいかねばはほとんど脅迫観念となる。 荒っぽい運転で病院までの道をすっ飛ばし 着いた病院の地下駐車場でなかなか空きがみつからないのにいらいらし、駐車場から指定の場所までの迷路のような廊下をうろうろし、ああ、間に合った・・・とほっとした病院の受け付けで待っていたセリフが 「オー!ユー カム ソー アーリー!!」 (お前達はなんて早々ときたんだ!!)である。
  私の努力はなんだったのか?慌てた母のとばっちりで唇から血をだしたまま幼稚園バスに押し込められた娘も、これでは立つ瀬がないではないか。 一気に徒労感におそわれつつも、涙をこらえてバスに揺られていった末娘の姿が脳裏に浮かび、急に胸が痛む。手術を前にあんなけがさせてしまうなんて幸先が悪いじゃないかと急に迷信深くなる。 病院についてからは覚悟が定まってしまったのか長女はケロッとした顔でディスクマンでお気に入りのCDを聴きつつ、持ってきたマンガに夢中である。 緊張しているのは私の方。長い一日がこうして始まった。
  個室に通されたのは、受付の時に尋ねられ個室を希望したからだ。コンピューターのキーをたたきながら、受付の手続きをしてくれたのはあさ黒い肌のマレー系男性。 そのにこやかで丁寧な応対ぶりに感心し、日本との違いに思いを馳せていた私の耳に、突如耳を疑う言葉が飛び込んできた。 "What is your religion? Are you a Buddhist or a Christian or......" 宗教? とっさに浮かんだのは父の葬式は浄土真宗だったということ。ここでは万一に備えて葬式の段取り確認までするのか?と不吉な思いにとらわれたのは、しかし、宗教が葬式宗教としてしか意味をもたなくなってしまった日本人特有の違和感にすぎない。
  ヒンドゥー、イスラム、仏教・・・シンガポールで暮らすと、人々の生活と宗教が切っても切れないものであることが肌で感じられる。 食事ひとつとっても宗教によってタブーがあるので、宗教の確認は病院としてはごく自然なことなのだ。 気を取り直し、「いえ、無宗教です。私達は日本人ですから」と答えたときに、なんともバツの悪いような思いがしたのは、生きる事と宗教が密接不可分である人達の中にあって、自分がどこか欠落した人間であることを告白しているようなそんな思いを抱かされたからなのかもしれない。 そんなことをつらつら考えながら私が受け付けをしている間に、娘は血圧を測定したり、熱を測ったり、簡単な問診を受けたりしていたようだ。 受け付けを済ませ娘のところに行くと看護婦さんが寄ってきて、念のため娘に尋ねたことを私に再度確認してくる。
  アレルギーはありますか? 過去手術の経験はありますか? 今朝の最後の飲食は午前七時で間違いありませんか? その時食べたものはカレーライスで分量は握りこぶし程度でしたか? そして最後に、今回どういう手術をするかおわかりですね?とあらためて手術同意書を見せられ、このサインはあなたのサインに間違いありませんね?と確認を求められる。 この同意書というのは一枚の紙であるがなにせ英語である。しかもこれ以上小さい字で印刷する事は不可能では?と思うくらいの小さな文字でびっしりと埋め尽くされている。
  ところどころに私がDr.ゴードン・タンに言われるままに記入した、娘の名前、娘のパスポートナンバー、私のサインが書いてあるのだが、前後の文章は全く読んでいない。トラブル防止のための確認書なのだろうが、一瞥しただけでは何が書いてあるのかさっぱりである。 日本語であればパッと見ただけで重要な語句が向こうから目に飛び込んでくるものだが、英語だとそうはいかない。端から読んでいかないと、どこが重要で何がキーワードなのかが皆目わからない。 そしてもちろん私は端からそれをじっくり読んでいくことなどここでは全く期待されてはおらず、「間違いありません」とわかったふりして即答することこそ、私に求められている対応である。
  はんこは押していないがめくら判とはまさにこのこと。 しかし、そんなこんなで部屋に案内されてみれば、これが電気、これが空調のスイッチ、テレビのリモコンはこれで、お好きな番組をどうぞご覧下さい。身の回りの荷物はそこのクローゼットに、洗面所(もちろんシャワーつき)はこちら、ご用の節はナースコールをどうぞ・・・とまるでホテルの部屋にチェックインしたかの如きの懇切丁寧なご案内である。 ブラインド越しに見える風景は、南国特有の濃い緑が目の前の往来激しい大通りを隠し繁った木々が車の喧騒を吸収するのか、部屋には外の物音ひとつ届かない。
  機能性むき出しのベッドさえなければ、ここが病室である事をつい忘れてしまいそうである。「どうぞごゆっくり」もあながち場違いではないかもしれぬ。 これでコーヒーのルームサービスでもあればなぁ?と思っていたら看護婦さんが私に小さな紙切れを手渡した。
  『コーヒークーポン券』 病院のロビーにある洒落たカフェテリアでコーヒーが飲めるタダ券である。 まさに至れり尽くせりと、いささか緊張がほぐれる思いがしたものだが、それにしてもあと三時間。手術開始まではまだまだだ。
  ディスクマンのイヤホーンを耳に鼻歌まじりでマンガに没頭する娘を前に私はなんとも手持ち無沙汰。 時間潰しにと思って私が持参した本は。手術前日に日本人会図書室で借りてきた。なぜか『日本文学全集 川端康成 第一巻 』読むともなしにページをめくれば、 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。 信号所に汽車が止った。 まったく気分にそぐわない。
  目の前には鼻歌娘。傍らの小さいテーブルの上には、モスグリーンの病院服とオイルに浸した綿棒三本なのである。川端文学の叙情に浸るにはあまりふさわしくない舞台装置だ。 読書をあきらめ、カフェでコーヒーを飲むことにする。そういえば、忙しくて朝食を食べそこねてもいた。 娘に断って部屋を出る。午前十時を過ぎて、ようやく受け付けも賑わいだしたようで、何人かの人が受け付けの順番をまっている。あらためて今朝のことが悔しい。
  再び迷路のような廊下をうろうろしてカフェにたどりつき、適当にパンを選んで、コーヒーを注文し、ひとりカフェのテーブルで胃袋に流し込むが、なんとも落ち着かない気分である。 ああ、早く終わらないかな・・とはじまってもいないのにそればかりを思う。
  カフェを出て、隣に並んでいるドラッグストアや花屋や洋服屋や美容院を一通り覗いてから再び部屋に戻る。 娘は相変わらずマンガに夢中。少なくとも見た目は私よりもよっぽどか落ち着いているようだ。ぼんやり娘とののしっていたが意外と腹が据わっているのかもしれぬと頼もしく思いながらも私の気持ちは一向に落ち着かない。
  時計の針はまだ十一時前。仕方なくもう一回川端康成を取り出し、そうだあれはどこだっけ?とページをぱらぱらめくってみる。 結局この指だけが、これから会いにいく女をなまなましく覚えている・・・略・・・ この指だけは女の感触で今も濡れていて・・略・・・鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが・・・ 雪国を初めて読んだのは中学生の頃。この文章の官能的な意味がまともにわかったとはとうてい思えない。
  いったい何を思って読んだのであろうか?と目の前で鼻歌を歌っている娘とそうかわらぬ頃の自分を思い出してみたりする。 一向に進まぬ時計の針もようやく十二時近くになり、それではへその掃除でも・・と娘にお腹を出すように命ずる。
  へその掃除というのはやりだすとなかなかやめられないもので、オイルにひたした綿棒でこすると面白いように汚れが取れる。くすぐったがる娘に動かないのと命令し、熱心に汚れを落としていたら、今度は痛いと訴えられた。しまった、力をいれすぎた。 へそ掃除も終わった十二時十五分過ぎ、再び看護婦さんがやってきて、着ているものは下着にいたるまで全て脱いで手術用の服に着替えるようにとあらためておっしゃる。
  病院指定の服は背中を紐結びするようになっている大きなエプロンのようなものを想像してもらえばいい。ベッドに寝たままでも簡単に着脱ができるようになっているのである。 靴下も靴も脱いでください、髪の毛のピン、時計、めがね、一切の装飾品ははずしてくださいと、着替えを済ませると俄かに病人臭くなる。 それではこれに乗ってと、車椅子に座らされると、何か娘が大変な重病人に見えてくる。
  手術室までハダシで歩いていくわけにいかないからに過ぎないのであるが、なんとも大袈裟だ。 「こんな若いのにらんそーのーしゅ?」 看護婦さんが同情に堪えないという風につぶやく。お願いだからそういう不安を煽るようなことを言わないでほしい。 介助の人が二人掛かりで娘の足に紙スリッパをはかせ、頭に紙ヘアーキャップをかぶせる。
  「こんな子どもがらんそーのーしゅ?」 介助の人までグルである。 あいつぐ同情のつぶやきに娘の手術が急に深刻なものに感じられ、ますます不安が掻き立てられる。 こういう不安な風景の場に居合わせない夫に心の中で毒づいてみても、この手のことにはからっきし弱い夫。車椅子に乗った娘の姿を見たら、激しくショックを受けて、私の手間は二倍に増える。
  やっぱりこの場に夫はいなくてよかったのだと、そんなことを考えている間にエレベーターがやってきた。 車椅子を押してくれるのはこのフロアーの雑用係の男性。患者の移動のお世話、書類の運搬、病室への食事のお給仕を担当する彼らは、みなおそろいの蝶ネクタイにチェックのベスト姿。こういう所もホテル並み。 しかしいくら彼らが蝶ネクタイでも、車椅子にのった娘が運ばれていく先はやっぱり手術室。
  すっかり病人と化した娘にちらちらと目をやるエレベーターに乗り合わせた赤の他人の視線に同情と好奇の色を感じるのは私の深読みか? 手術室は四階。受け付けのワンフロアー下である。両側開きのエレベーターで、乗った側とは反対側の扉が開き娘を乗せた車椅子は静々と押されていく。 さすがにここは手術室フロアー。いままでとうってかわって病院臭がぷんぷんだ。 大きなガラスの自動ドアが開けゴマの呪文とともに。さーっと両側に開くとその向こうは、まったくいきなり無機質むきだしのクリーンなオペレーション・ルーム。
  ここから先は立ち入り禁止のテープが自動ドアの開いた内側一メートルのところの足元に貼ってあり、私はここまでしか入れない。 いかにも「わたしたちは手術のスタッフ」といういでたちの医師、看護婦、雑用係が忙しげに歩き回り、いやが上にも緊張が高まる。自動ドアをはいってすぐのところは、ややひろい空間になっていて、その向こうに廊下が曲がって奥につながっており本当の手術室はさらに奥にあるらしい。
  この広い空間はその名も 『Waiting Bay』これから手術を受けるもの、手術が終わって部屋に運ばれる順番を待つもの、それらの人たちをのせた移動ベッドが、まさに 湾に浮かぶ艀のように無造作に並んでいる。 車椅子で運ばれた娘も早速ベッドに寝かせられ、ますます病重篤なる風情である。隣近所には手術を終えた患者を乗せたベッドがゴロゴロしており、当然のことながら麻酔が効いている彼らはピクリともしない。
  顔色も真っ青でかなり不気味である。生きてるんだろうか?とふと不安になる。 突然ひとりの患者が奇妙な声をあげる。麻酔で夢うつつの中にいるのだが何か苦しいらしく、せっぱつまった訴えである。看護婦が一生懸命なだめているが、聞こえているのかいないのか、奇妙な声は一向にやまない。
 とんでもないところに来てしまった・・・ 日帰りができるからと軽く考えていたが、日帰りであっても手術は手術。麻酔だって局部ではなく全身麻酔なのである。 「簡単な手術だったはずなのです、それなのに・・・」というどこかで読んだことのある麻酔事故の記事が頭をよぎり始めた頃、娘の順番がやって来て、彼女を乗せたベッドは廊下を曲がって奥へと消えていく。 さすがに不安げな娘の視線がいつまでもわたしの視線と絡み合い、再び生きてこの子に会えるのだろうかと、ほとんど悲劇のヒロインと化した私の不安は、ことここに至って最高潮に達した。
  熱帯の空の変化は劇的だ。朝のうちは痛いほどの日差しで眩しかった空が昼が近づくにつれてみるみる暗くなり、娘を手術室に見送り部屋に戻ったそのタイミングを見計らったかのように、ぽつりと雨が降り出したかと思うと、雷鳴が轟き雨脚が一気に強まる。 あまりにはまった演出である。 轟く雷鳴。 ガラス窓を叩き付けて降りしきる雨。 不安気な表情の母。 さらに轟く雷鳴。 切り裂く稲光。 母、中庭を見下ろし思いつめた表情。
  カメラはその横顔から窓越しに雨が叩き付ける中庭にパンしてカット。 脚本ならさしずめこんなところか。 だか、現実の私は手術が始まってしまえばかえって落ち着いてしまい、急に空腹を覚え、娘の前では遠慮していた買い置きのパンと缶コーヒーで昼食にすることにした。
  そういえばあの『2メートルの高所からのコンクリート床面真っ逆さま落下血だらけ救急病院かつぎこみ騒動』の時にも、すっかり動転して震えていた夫を「しっかりしなさい」と励まして娘と先に病院に送り出した後、まずは腹ごしらえとソバをゆでてずるずる啜っていて、高熱にうなされる下の子の世話のために駆けつけた実家の母をあきれさせたことがあった。
「あんたこんな時によく食事が喉を通るわね」という訳だ。 通らなくても通さなくてはその後が困るではないか。こういう時にこっちまで具合が悪くなってどうする。
  さて、手術の話。 午後一時開始で、長くても四十分ほどと聞かされていれば、遅くとも二時過ぎには終わるのだろうと予想するのが普通であろう。
 時間に関しては朝のことがあるのでいまいち信用がおけなかったが、それにしても実際に終わって出て来たのが、午後三時すぎだったのは全くひどい話であった。 それなら最初からそう言ってくれなければ、「こんなに予定をオーバーするのは何かあったんじゃないか?」と心配するのが人の情というものだ。
  しかも事前の検査で悪性のできものではないだろうと、一応の診断はついていたのだが「見てみないと確実なところはわかりません。」というごていねいな留保を頂戴していたのである。 午後二時までは落ち着いていた私であるが、それを過ぎても娘がなかなか帰ってこないとなって、またぞろ不安が頭をもたげてきた。
  「事故でもあったのか?」 「ひょっとしてできものが悪性だったのか?」 そこまでは入る事が許されている『Waiting Bay』を覗きにいってみれば、ガランとしたそこになんの人のけはいもない。 無機質な器材が閑散と並ぶそこは人気がないとさらに寒々しく、遠くからかすかに聞こえる金属音と、スタッフが時折忙しげに行き交う足音が聞こえるだけで、娘がいまどういう状態なのかはさっぱりわからない。
  折から先ほど顔なじみになったスタッフのひとりが、私を見つけ「まだ終わりませんが、お嬢さんは大丈夫です」とかけてくれた言葉すら単なるなぐさめにきこえ、本当のところは大丈夫ではないのではないか?何かあったときは病院はまず、隠蔽工作に走るのではないか?と妄想がどんどんふくらんでいく。
  部屋にじっとしていても落ち着かず、何回となく階下のオペレーション・ルームに足を運ぶ。 手術終了時刻を一時間以上過ぎた頃、ようやく娘を載せたベッドが『Waiting Bay』に戻って来た。 体をえびのように丸め横向きにベッドに横たわる娘。
  その力無い姿と血の気の失せた真っ青な顔色にはっと胸をつかれる。 顔を近くに寄せてみると、目ははっきりと見開かれているものの、焦点の定まらない瞳が宙をさまよっている。
  「ママよ。わかる?」 娘の常ならぬ生気の無い表情に、簡単な手術と思っていた考えの甘さを思い知る。 「・・・いたぁぃ・・・・」 やっと聞き取れるようなか細い声で娘がつぶやく。
  「・・・いたぁぃ・・・」 私が代わってやれるものなら代わってやりたいと切なさがこみあげる。 蝶ネクタイと看護婦さんは慣れた手つきでベッドを押して、エレベーターに乗せ、娘を部屋に運んでいく。
  そのわずかの間に麻酔からまだ完全には醒めやらぬ娘は再び眠りに落ちてしまい、部屋のベッドに移されたことすら、あとで聞くと全く覚えていないらしい。 ベッドに移すときにとりかえた手術用ベッドのシーツが血液と消毒液でべっとりと汚れていることに気づき、今更ながら娘がかわいそうになる。
「しばらく眠らせてあげてください。五時に夕食を出しますから。」 看護婦さんはそう言い置いて出ていったが、こんな状態で五時に食事が摂れるのだろうか?はたして今日中に家に帰れると言うのだろうか? 腕には点滴のための血管確保の装置がまだついたままで、こういうものを見ると亡くなった父の闘病生活を思い出してしまいどうもいけない。
  ぐっすり眠っているようなので、ちょっと気分転換でもしてこようと、コーヒーを飲みに病室の扉をあけたところで、ばったりと病院の事務スタッフと鉢合わせする。この部屋に用があるらしい。 スタッフの手には普通の家庭用ビデオテープが一本。わが家にも何本かある赤い箱にはいった一番安い百二十分用録画テープである。
 何故ビデオテープが?と怪訝な顔で突っ立ている私に、彼女は手にしたテープを差し出しながら、なにごとかをつぶやく。 "you 、watch video、 good operation theater" 切れ切れに聞き取れる英単語。手術が終わってぐったりと眠っている娘に、気晴らしにビデオでも持って来てくれたというのだろうか? 娘はまだ寝ているからビデオは見ない。だからそれはいらないと答えながら、はて、そもそもこの部屋にビデオ再生機はなかったんじゃなかろうかと話がますますわからなくなる。 そういう私の反応に、彼女はこれではだめだと思ったのか、"No! No! come"といいながら私を受け付けカウンターの方に手招きしながら先に立って歩き出す。
  カウンターにいる別のスタッフに早口の中国語で何かをまくしたてている。彼女の言葉はわからなかったが、その身振りから「この母親はビデオをいらないと言っている。意味がわかってないようだから、ちゃんと説明してやってくれ」といったようなことではないかと推測された。 その時天啓のように閃いた。
  "operation theater!!!" まさか手術の一部始終の記録ビデオなのでは? 閃いてしまった事柄に呆然となっている私に追い討ちをかけるように、英語にたんのうなスタッフが説明を始める。 「これはさっき終わったお前の娘の手術を撮影したものだ。何が行われたかよくわかって大変よいものである」 冗談じゃない! シーツに残っていた手術の痕跡を見ただけであんなに胸が痛むのだ。実際に娘の腹が切り裂かれその体から血が流れていくところを映像でなんか見たくない。
  いったい何を考えているのか? スタッフは驚いているお前の方がどうかしているといわんばかりのごく当たり前の表情で、処方箋にしたがって患者に風邪薬を手渡すような気軽さでもって、私にビデオを差しだす。 こういうものはここでは一般的なのか?という問に対して、そうね、希望する人も多いからと、信じられない答えである。
  そういえば夫の職場で胸に腫瘍ができて、その切除手術のための休暇を申請してきた女性スタッフが、胸のレントゲン写真を会社に持って来て「ほれ、ここにこのように腫瘍が間違いなくあるだろう。だからわたしは休暇を申請するのだ」と上司である夫に説明をしたことがあるという。
  ひっきりなしに電話が鳴り、業務に忙殺される職場のど真ん中で部下の女性の胸のレントゲン写真を見せられた夫。胸の生写真を見せつけられた訳ではないのでたじろぐ必要もないのかもしれぬが、どうもこういうところはかなり日本人一般の感覚と異なるものがあるようだ。 システムの違いにいちいちとまどいつつ付き合ってきた娘の手術であるが、ここにきてまたひとつ驚かされてしまうことになった。
  そうそう、ホテルライクな病院にはこんなものまであった。 『少しお時間を頂戴して、私どものサービスの評価をお願いいたします。 ご記入がお済みになられましたら、係りの者にお渡しいただくか、 ご意見箱にお入れ下さい。またご郵送いただいても結構です。
  貴方様のご意見は私どものサービス向上のために役立たせていただき、 尚いっそうのご奉仕をさせていただきます。 グレンイーグルス病院をご利用いただきましてまことにありがとうございました』 まさにホテルやレストランご利用のアンケートと同じ書き出しではじまる一枚のアンケート用紙。手術が始まる前に看護婦さんが着替えと綿棒と一緒に部屋のテーブルに置いていったものだ。せっかくのアンケートである。
  お答えしなくてはなるまい。 利用した施設の名前(手術センター、集中治療室、分娩室、等々)に印をつけた上で質問に五段階評価で答えるようにとの指示だ。たいした質問でもないのに、結構真剣に考えてしまう。 アンケートを記入し終わった頃、一眠りした娘が目を開けた。顔色も大分よくなり、瞳の色にも正気が戻っているようだ。
  大丈夫?と声をかけると、さっきよりは痛くないと言う。座薬でいれた痛み止めが効いてきたのであろう。 手術着のままで横たわっていた娘だったが、着心地が悪いらしく、早く着替えたいという。起きられるかどうか介添えをしながら身体をおこしてやると、なんとか身を起こせた。 バスルームでひとりで着替えると言い張る娘を、今日だけはママが手伝うからここで着替えなさいと説得する。年頃になってきて、こういうところへのこだわりがたいへん大きい。
  なかなか首をたてにふらなかったが、バスルームで貧血でもおこされてひっくりかえっては大変だ。見ないから大丈夫、手伝ってあげるという、全然説得力のない理屈を押し通し、着替えを手伝う。 下腹部に二個所、おへそに一個所、都合三個所の傷痕がなまなましい。傷口は緑の糸で縫い合わされ、その上を透明のシートでぴたりと覆われている。抜糸は一週間後だ。 身体を起こせるくらいなら、肩をかせば歩けそうだ。
  車に乗せてしまえば帰れるだろう。留守番をしている二人の子どもが気になる。早く家に帰りたい。 手術後に、Dr.ゴードン・タンが回診に来てくれるはずであった。そこでOKが出れば帰ってよいという話である。 午後五時に食事が出されるとのことだったが、その少し前、Dr.ゴードン・タンが相変わらずにこやかな表情で病室に入ってきた。 「ハーイ イカガデスカ?」 なんだか楽しそうである。
  鼻歌でも歌いだしそうな調子で娘の傷を確かめ、一週間後の来院を確認し、投薬の指示を出す。 「イツ タイインシマスカ?アシタ シマスカ?」 え?こちらではいつ退院するかも患者が決めるのだろうか? 「い、いえ、できれば今日帰りたいのですが」 今朝邪険にしてしまった末娘のことが気になる。
「オー モッチロン ダイジョブ ダイジョブデス」 再びこちらの希望がすんなり通る。 「何時頃になったら帰れますか?」 「シバラクヤスンデカラ・・・ソウ ヨルノ八ジクライ・・」 ええっ?それは遅すぎる。夜になるまで子ども二人きりで留守番させるのはかなり心配だ。 「あの、もう起き上がれるので車に乗せれば大丈夫だと思うのですが、 もう少し早めに退院する訳にはいかないですか?」 おずおずと尋ねてみれば案の定。
  「オー オキレマスカ?デハ イマスグデモOKデスヨー」 患者の希望はたいていの場合医者のアドバイスよりも優先されるのである。「マイ リコメンデーション イーズ」が思い出される。 食事に出されたサンドイッチとアイスクリームを食べ、アンケートを提出して、娘と私は病院をあとにした。 駐車場までのわずかな道のりを歩いただけでふらふらになっている娘を気遣いながら、来るときとはうってかわった慎重な安全運転で家への道を走る。
  まだ昼のように明るい熱帯の日差しの中を走りながら、心の緊張の糸がゆるゆるとほどけていくような安堵感を感じる。 終わった・・・いずれにせよ、無事終わったんだ・・・  朝、ほんの少しのカレーライスを口にした他は、手術後にアイスクリームと、小さなサンドイッチ一切れを食しただけの娘。
  帰宅後、何か食べたいものは?と尋ねると鮭茶漬けが食べたいと言う。 永谷園の鮭茶漬けに、本当の鮭を焼いてほぐして山ほど加えた、豪華な茶漬けを作ってやる。 しかしこの娘、基本的に食事には手間がかからない。一時帰国の際に日本に帰ったら何が食べたい?と聞いた時の間髪入れずの返事が、「セブンイレブンのおにぎり」 日頃の食生活の程がしのばれて、母親としてまことに恥ずかしい限りである。
  お気に入りの茶漬けを流し込み、あとはベッドに倒れ込む娘。無事に終わったとはいえ、かなりしんどそうである。お腹を切って、あれだけシーツが血で汚れていたのだ。平気の訳が無い。 「手術後に腹膜炎をおこしたりすることもあるんですってよ」という友人の余計な話が頭をかすめる。終わったら終わったでまたぞろ心配の種は出てくるものだ。
  お留守番の娘達におりこうさんをしてあげて、夕飯を食べさせ、早めに寝かしつける。 ときどき長女を覗きにいってはちゃんと息をしてるかしら?と確かめてみたりする。 そんなこんなで家の片づけをするうちに夜も更けて、夫が帰宅。細かな話をしてもいたずらに心騒がせるだけ。無事に終わってもう眠っている、大丈夫よとだけ伝える。とっても心配した話などはおくびにもださない。 何かあるといけないし、夜中に薬も飲ませなければいけないので、ほとんど徹夜ですごした翌朝、家族を送り出してから、おもむろに例のビデオを再生してみる。
  どんな血しぶき飛ぶシーンが出てくるのかと固唾をのんで見守っていたテレビ画面に映ったのは、しかしそんなドキュメンタリーではなかった。 顕微鏡をのぞいたような丸い画面があらわれ、いきなり、娘のお腹の中が映しだされた。 腹腔鏡の先端につけられたカメラで撮影された映像である。音声は無論ない。
  なーんだと半分がっかりしたような気分になったが、しかし、この映像。こういう人体の内部を映像で見たのは初めてであったが、なんとも不思議なしろものである。 ぬらぬらとした膜に包まれて、いろいろな形の内臓が重なるように腹腔に納まっていているのが見える。 腹腔鏡はまさに今卵巣にくっついている腫瘍を切り刻み、引っぺがし、体外に次々と取り出しているところだ。 間違ってちがう所を切り刻んでしまわないかとちょっとひやひやする。引っぺがす時にほかの内臓まで引っ張り出されてしまいやしないかとはらはらする。
  あー、そんなに無理に引っ張っては、卵巣までぽろんと千切れてしまわないのだろうか? 腹腔内に納まっている内臓は固定されている訳ではなく、引っ張られてはぷるんぷるんと動く。卵巣は鮮やかな濃い珊瑚色をしていて、人体図とまったく同じ形でそこにある。 あのしろっぽく光っているものは膀胱であろう。そして、この風船を押しつぶしたように薄っぺらく中央にぴらりと広がっている逆三角形をしたもの。
これはどうやら子宮のようだ。 しかしドキュメンタリーではなかったことにほっとしたのもつかの間。映しだされたのう腫を見て仰天する。事前に、この嚢腫は生まれつきのもので、中に骨、髪の毛などがはいっていると聞かされてはいた。
しかし、こんなに本当にうじゃうじゃと髪の毛がこんなところにあるのを見ると、人体の不思議さを見る思いで目が釘付けになる。 嚢腫の大きさは直径六センチくらい。それを切り刻むと、なかから長さ数センチから長いものでは十センチくらいの長さのまったく普通の髪の毛がうじゃうじゃと出てくる。しろっぽい軟骨のような骨がいくつも転がり出る。
 げげっ。こんなものを娘は十三年間も腹の中にもって暮らしてきたというのか?昔読んだ手塚治虫のブラックジャックに、そういえばこういう嚢腫の話があって、中に人体一そろい分がはいっていたというのを急に思い出したりする。
 これで、中から目玉あたりが転がり出てきたら、かなり恐い。しかし、母の子宮内で細胞分裂がおきる時に、何かの間違いでこういうものができてしまうらしいから、目玉が転がり出る事もひょっとしたらあるかもしれない。
 いや、目玉だけではない、ああいうもの、こういうもの、あらゆる人体の部分品が発生の異常によりのう腫の中に含まれうるのかもしれない。想像を膨らませていくと、だんだん気持ちが悪くなってくる。 この気持ちの悪いものを腹腔鏡は器用に切り取って、体外に運び出していく。当然腹腔内はのう腫の切れ端やら、血液やらで汚れてくる。
 別の管からぴゅーっと水が腹のなかに撒かれ、そういった汚れを流し落としていく。 汚れを落とされた内臓の膜がぬらぬらと光り、腹腔には赤く濁った水がたっぷりとたまる。すると今度はまた別の管が現れ、汚れた水を吸い取っていく。
  これを何度も繰り返し、気持ちの悪いできものが取り去られ、次第に卵巣がその奇麗な姿を画面に現してくる。ちょうど魚のはらわたを取る作業を想像してもらうといい。 ここはまさに人体のはらわた。最初は気持ち悪かったが、見慣れてくるにつれて、膜につつまれたいろいろな内臓がとても奇麗なものに感じられてくる。
  血を見るのが嫌いで、人の人体切り刻む職業に就いた友人の神経がわからなかった私であるが、外科医とはひょっとするとこういう人体の美しさに魅せられてメスをふるっている部分があるのかもしれないと思ったりする。 カメラがするすると後退し、娘の腹から引き出されていく。外に引っ張りだされたカメラが一瞬緑の手術着の娘の姿を映し出したと思ったところで映像が切れた。
  あれ?もう終わり? もっと見たかったのに・・・ いつの間にか映像に魅せられていた私。しかし、娘本人はそんなビデオは金輪際見たくないという。二人の妹は言わずもがなだ。奇麗だから見てみるといいと奨めたけれど、夫もなんだかんだといまだに見ない。 ちょっとみんな、好奇心ってものがないの?こんなに奇麗なのに・・・ 最初病院でビデオを渡された時の困惑も忘れ、珍しい映像に興味をひかれてしまった私。
  こういう時、妙に家族の中でひとり浮いていることを感じてしまう。 手術から一夜明け、目覚めた娘がただならぬことを告げる。 「傷口から血が出てる」 見れば透明シートにぴたりと覆われた傷口から血が滲み出し、密着したテープと皮膚の間にたぷたぷと血溜りを作っている。 ぎょっ。前夜寝る時はこんなものはなかったはず。ひょっとして縫いあわせが不十分で傷がぱっくりと開いているのじゃあるまいか?
  「手術後に腹膜炎をおこしたりすることもあるんですってよ」 友人の言葉が再び頭をよぎる。やっぱり「アス タイイン」にした方がよかったのだろうか? 手術が終わってほっとしたのもつかの間。大急ぎでDr.ゴードン・タンのクリニックに連絡を入れる。不安気に尋ねる私に、ベテラン産婦人科医Dr.ゴードン・タンはまたまた再びこともなげに言い放つ。
  「アア ダイショーブ。チ、デテテモ ヘーキネ。」 血、出てても平気ぃ????そう言われてもやはり心配だ。 一週間後の抜糸まで剥さないようにと指示された透明シート。一週間もたぷたぷと血溜りを腹にかかえて過ごさねばならない娘も気持が悪かろう。とにかく一度診てくださいとやや強引に頼み込む。 お医者様の言葉に唯々諾々と従ってしまっていてはいけないことは、もう何度も経験済みなのである。
  しかし、今回ばかりはお医者様の言うとおり、お腹の血溜りは心配する事ではなく、透明シートを貼り替えてもらっておしまいであった。 そして、一週間後の抜糸の日まで、娘がちょと腹が痛いと言えば、すわ、腹膜炎か?と心配し、動悸がすると言えば処方された薬が心臓に悪いのではあるまいかと気を回し、ごろりと横になっている姿を見れば、調子が悪いのかと不安になり、そういう気疲れだけで親の方がぐったりした頃、娘はすっかり元気になっていた。 抜糸からさらに三週間後。超音波検査でまったく心配なしのお墨付きをもらいようやく心からほっとする。
  念のためにとさらにまた四ヶ月後の検査を言い渡されたがこれはオマケだ。 かくしてようやく娘のハラキリ付き添い体験は終了の日を迎え、いまやそんなこともあったのねと喉元過ぎれば熱さを忘れる毎日で「健康でありさえすれば」なんて思った日々は早遠く、「ぐだぐだしてないで、ちょっとは勉強しなさいっ」と今日も娘を叱り飛ばす私なのでありました。