The Girl in A plastic case 小説   伊藤秋廣


 透明のプラスチック・ケースの中に少女は居た。
 天井に小さな空気穴が数十個開いているだけの正方形のケースの中で、少女は膝を抱えて座っていた。
 ステレオタイプの「召使い」服を着ている、とても美しい少女だった。でも、少女はとても悲しい目をしていた。だから私は店主に無理を言ってそれを譲り受けようとした。
 「これは売り物ではないんです」
 店主は無表情にそう言った。でも、私はどうしても諦めきれず、粘りに粘り、結局はそれを譲り受けることとなった。支払いはクレジット・カードで済ませた。金額は後で私が記入します、と伝票を手にしながら店主は言った。私はそれでも構わない、と言った。
 「お持ち帰りにはなれないでしょうから、明後日にでも配達いたしますので、ご住所を……」と店主は言った。
 私は、いや、何とかして持って行くから、と、それを断った。
 そうですか、と店主は言った。
 私はそれを抱え上げてみた。ケースの中の少女は表情一つ変えなかった。あいかわらずの悲しげな目。そのケースは予想に反してそれほど重たくはなかったが、サイズと形状からして、このままでは電車はおろか、タクシーにも乗せていくことはできない。
 このケースは解体できないのですか?と店主に聞いてみた。
 店主は言った。
 「そういうおつもりなら、それをお譲りすることはできません」
 私は頷いた。
 私は駅前のレンタカー・ショップで軽トラックを借りてきてそのケースを荷台にのっけてみた。このままでは人目を引くこと間違い無しなので、何か上にひっかけるモノを、と店内を物色した。
 「これなんかどうでしょう?」
 店主が差し出したのはおあつらえ向きの大きさの黒い布だった。グランド・ピアノのカバーか何かだと思う。またしても支払いはクレジット・カードで済ませた。金額は後で私が……と、またしても店主は言った。私もまた、それで構わない、と言った。
 黒い布を被せるときも少女の表情は一つも変わらなかった。まるで、自分が売買されたという事実を、全然認識してもいないかのようだった。
 「まいど……」と店主は言って、私を見送った。
     * 
 快適なドライブだった。
 黒い布に包まれたケースを荷台にのっけた軽トラックで東へとひた走った。AMしかないラジオのチューニングをFENに合わせると、フランク・シナトラの「夜のストレンジャー」が流れてきた。私はそれに合わせて口笛を吹いた。気分は最高だった。そう、私は後ろの荷台で揺れるケースとその中で膝を抱えている少女のことを考えて、胸がいっぱいになりつつあった。私はうれしかった。早く家に帰りたいと思った。しかし、荷台の彼女のことを考えると無謀な運転は禁物だ。私はいつもより細心の注意を払ってハンドルを切った。
     *
 真夜中、私は静まりかえった近所の人に怪しまれないようにゆっくりと庭先に軽トラックを着け、なるべく音を立てないようにベランダの窓をはずして、その布にくるんだままのケースを家の中にそっと運び込んだ。それから居間のテーブルを動かして、部屋の中央に透明のケースを据え付けた。
 私は汗だくだった。しかし、私は充足していた。被せてあった黒い布を取ってもやはり、彼女はあの店で最初に見たときと同じ表情と同じ姿勢のままで、やはり同じく悲しい目をしていた。私は少し安心した。
 レンタカーを近所の時間貸しの駐車場に入れ、明日返却の旨をレンタカー屋へ連絡した。私はできるだけ赤いワインとできるだけ白いチーズを買ってから家に帰った。玄関のドアを開けるときに「ただいま」と言ってみた。でも、ケースの中の少女は何も返事をしてはくれなかった。
     *
 私は部屋の照明をできる限り落として、ケースの中の少女にピンスポットが当たるような位置に懐中電灯を置いた。彼女は少しだけぴくんと動いて反応した。私はケースの横に腰掛けてワインを飲んだ。チーズを摘んだ。そしてケースの中の少女を改めてしげしげと眺めた。少女もぼんやりとではあったが私を見つめていたと思う。
 私はひたすらに眺め続けた。やがて眺めるのに飽きた私は右の手のひらをケースの側面に押し当ててみた。ケースの表面はとても冷たかった。私は左手にグラスを持ってワインを一口飲んだ。
 少女はガラス越しに私の手のひらを見ていたように思われた。
 さあ……と、私は心の中で言った。彼女は、恐る恐る、と言った感じで、手を……そう、驚いたことに、本当に彼女自身の、そう、右手を伸ばしてきたのだ。
 私は目を閉じて祈った。
 「さあ……」
 少女の手のひらがガラス越しに私の手のひらに重なった。ガラスの表面の温度が微妙に変化して、私は目を開いた……彼女はかすかに微笑んでいた。私も微笑んだ。そして、私は飲みかけのワインのグラスを床に置いて、そっと唇をケースの表面に寄せてみた。心の中で再び祈った。
 「さあ……」
 私は目を閉じたように見せかけて、薄目を開けて彼女の動向を探った。彼女もまた……恐る恐る、唇を近づけてきた、目を閉じて、その可憐な唇をちばめて……。
     *
 我々はプラスチック越しに口付けを交わした。
 彼女の唇の温度が間接的に私の唇に伝わってきた。伝導する時間の遅れと、多少の温度の減少はあるにせよ、それは確実に私の唇から、そして私の心の奥深いところにある何かに伝わってきた。私は再び目を閉じて、そして舌の先をプラスチックのケースの表面に押しつけた。
 少なくとも5分くらいの間、そのままでじっとしていた。この次にどうすべきなのか、想いを巡らせながら。
 そして……我々は着ているものを脱いだ。どちらからともなく、互いに何も言わずとも、それはあくまで自然の成り行きだった。我々はほぼ同時に着ているものを全部脱ぎ捨てた、私は閉じていた目を開いて、彼女がそのせまいケースの中でもがきながら、フリルのついたシャツのボタンに手をかけている様子を凝視しながら。
 彼女はまるで、さなぎの殻を脱ぎ捨てた蝶のように軽やかで美しかった。
     *
 彼女は相変わらずの悲しげな瞳のままで、自らの乳房を……冷たいプラスチックの表面に押しつけた。押しつぶされて歪められた白く美しい乳房に……私はその手を伸ばした。そして、その間接的な温もりを楽しんだ……再び目を閉じて…………閉じて……閉じて……そのまま……。
     *
 ……気がつくと……夜明けを迎えていた……どうやら……私は全裸のままで……気付かぬうちに眠っていたようだ。ワイングラスの底には、あれほど赤かったはずのワインが……不思議なくらいに蒼く変色し、わずかに残されていた。
 ……そして……彼女は……死んでいた。
 脱ぎ捨てた服と下着とストッキングが丸められて散らばっていて、ちょうどそれらが偶然に生み出したサークルの中心で膝を抱えたままの姿勢で、首だけを深く下げていた。
 彼女は身動き一つしなかった。
 目を閉じて、口を閉じて、そして、その他のあらゆるもの全てを閉じているように思えた。
 私はケースの表面に触れてみた。
 それは氷のように冷たくて、「全ての終わり」を私に無言のままに告げていた。私は頭を垂れて、その場で跪き、そして両手を床について……泣いた。
 私の涙の滴が、青いワインの残るグラスに一粒こぼれて、一瞬、そう、一瞬だけ、青いワインが赤く変色したかと思うと、また、元通りの青に戻って、私は右手でワイングラスをとって、そして、一気に飲み干した。
 それはワインじゃない別の何かの味がした。覚えのあるような味だったけれども、それが何の味なのかは思い出せなかった。

ー了ー