FILE.29 夢だけの恋 08.04.09

 ホテルのベッド。モモコさんは胸を高鳴らせ、横たわっている。彼はやさしく髪をなでながら、「かわいいよ。世界中で一番かわいい」とつぶやく。彼の腕の中で、「どうしよう、どうしよう」と彼女は焦っている。
 やさしい、大事にしてくれる夫の顔が頭に浮かぶ。しっかり者で家事を手伝ってくれる長女の顔も浮かぶ。勉強はできないけれど、ちょっとおデブだけど、柔道クラブで一番強い長男の柔道着姿が目に浮かぶ。
 けれど、目の前の彼を拒めない。そして、何より自分の欲求が抑えられない。からだを合わせると、彼の高なる心臓の鼓動が聞こえる。
「彼もこんなにドキドキしてるんだ」。自分が男をドキドキさせている! 彼女はそれだけで、もう充分だと思う。
「ダメだよ。こんなの、いけないと思う」。溶けそうな、いや、すでにじゅうぶん溶けてしまった体を硬くして、言葉だけで拒んでいる。でも、彼は焦ることなく、ゆっくりとモモコさんの体の中に入ってくる。焦りもしない、静かで柔らかな手で……。

 モモコさん、39歳。近ごろよく夢をみる。
 「同じ人が出てくるんです。もう、本当に困ってるんです」
 そう言って、顔を赤らめた。勤め先のファミリーレストランの店長に言い寄られたり、ホテルに行ったりする夢だ。店長は37歳。パートを始めてしばらくして今の店長になったから、彼と出会って3年近くになる。深い付き合いになったのは1年ほど前からだ(夢の中だけだけど)。
 「なんであんな夢をみるのか、わからないんです。店長のことが好きなんていう感情があるわけじゃないし、向こうから言い寄られたこともないんですよ。私は結構ハッキリものを言うんで、最初よその店から来た店長と、もめたこともありました。でも、話はきちんと聞いてくれるし、まあいいヤツなんですよ。パートの主婦とか大学生をうまくまとめてますね。ただ、私はパートの中でも古株なので、向こうもいろいろ頼ってくるというか、アテにされているのかなって感じることはありますけど」。
 上司とはいえ、2歳下なので、話すときも半分敬語で半分タメ口らしい。だが、それも他のパート主婦みんなと同じように接している。自分だけが特別とも思っていない。

 レストランに勤めるのは週4回。子どもの習い事や小学校の行事に合わせて、比較的自由に働かせてもらっている。店長もひとり息子がいて、奥さんも働いているらしい。息子の年が自分の長男とひとつ違いなので、よく子どもの話をする。
 「でも、その程度の関係なんです。本当にまったく他のみんなと変わらないし。なのに、なんであんな夢をみるんだろうって、なんか自分が恥ずかしくなります」。

 夫と疎遠なのかといえば、そうでもない。会社員の夫は出張も多く、平日の帰りも遅いけれど、子どもの相手もしてくれるし、やさしくいい夫だと思っている。セックスは月に2度はある。周りの主婦や友だちによると、「多いほうだよ〜」とうらやましがられる。パートとはいえ、立ち仕事は結構疲れるし、彼女としても月2回で充分だと思う。夫も同じだろうと思う。

 ひとつだけ思い当たることがある。一昨年、シングルマザーの同僚が、前の夫からストーカーまがいの行為を受けたことがあった。職場に電話がかかってきたりして結構大変だった。
「みんな困惑しちゃって、一瞬、もう彼女にはやめてほしいわ〜みたいな雰囲気になったことがあったんです。でも、店長はかばったんですよね。自分から警察に連絡して彼女に付き添って被害届を出しに行って。そのとき、私も彼女をなんとか助けたかったから、店が空く夜に職場に行って、何度か店長と対策を考えたりしました」。
 そんなこともあって、店長との信頼関係はより強くなった。
「でも、だからって、どうしてあんな夢、次々見ちゃうのかなあ。本当に困っちゃいます。ええー、私、もしかしたら店長のこと好きなの?って思ったりして(笑)。現実になったらどうしよう、なんて。ま、ありえないですけど。はははは」。
 彼女が心配するのは、自分が寝言で店長の名前を口にしたりしないだろうかということだ。
「実はなんにも関係ないのに、(夫から)疑われたら困りますよね。はあーっ」。
 モモコさんは笑顔を浮かべつつ、ため息をついた。
 でも、ちょっぴり、楽しんでないですか?
 「うーん。そう見えます?自分でもわからないんですけど。なんかちょっと欲求不満なんですかねえ」。
 そう言って、首をかしげた。
(終わり)

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