FILE.25 離婚しない理由
【後編】背中合わせの夫婦 08.03.12

 夫に疑惑の目を向けてみると、それまでなんとも思わなかったことが、次々と浮気に結びついていった。
 持ち帰らなくなった洗濯物、買い物に興味がないはずなのに増えてきた洋服。そして、以前より減り始めた夫の通帳残高。
 夫の給与が振り込まれる口座の通帳は彼女が持っていた。夫はカードをもっていて、マンションの家賃や光熱費などがそこから引き落とされる。それ以外のお金は夫が自由に使い、貯まった分は数か月に一度、彼女が定期預金に移していた。
 「すごく金遣いが荒くなったんです。旅行やゴルフにも一緒に出かけていたみたいです」
 頼みもしないのに、知人の女性は情報をリークし続けてくれた。
 「不思議ですよね。愛情なんかなかったのに、浮気されるとやっぱり腹が立ちましたね。で、決めたんです。私は、夫を利用するだけ利用しようって」

 そして、長男が生まれた。夫は気が向けば子どもと遊ぶことはあったが、オムツ替えなど面倒な世話は一切しなかった。少し大きくなっても、幼稚園の行事に出たりもしない。お気に入りのアニメ映画を観るのも、遊園地も、旅行も、いつも母と子二人で出かける。夫は出産前と変わらず単身赴任のままだ。
 「まあ、普段は家にいないので助かってます。相手はころころ替わるようだけど、相変わらず浮気してるみたいですよ。夫婦生活ですか? そんなの、ない、ない(笑)。逆に外で発散してもらえるので、こちらは助かります。まあ、避妊だけは気をつけてねって言いたいですけど。あ、それもいいかも。早く離婚できますからね」

 多少自虐的に聞こえなくもないが、ヨシミさんは自分なりの人生設計を立てている。
 「息子が中学生になったら、夫に離婚を切り出そうかと思ってます。でも、子どもの高校受験とかに支障をきたしたくないので、中学受験をさせて、中高一貫校に入れたいんですよね。でも、最近はなかなか言うことを聞いてくれなくて……」
 子どものことに話が及ぶと、表情が暗くなった。不登校気味だという。子どもと一緒にカウンセリングを受けたら、母と子、父と子、そして夫婦のかかわりを見直すべきだと言われた。
 息子はヨシミさんにはひと言も言わないが、カウンセラーには父親不在が寂しいこと、両親の仲が悪いことがいやだということなどを告げたらしい。

 ヨシミさんに彼女の育った過程、生育歴を聞いてみた。
 「うちの親も仲が悪かったです。父親がスパルタでしたね。一緒に遊んでもらった記憶なんてないですよ。机の横に座って、監視するようにいつも勉強をみてましたね。私が子どものときから(勉強が)できたから、すごくやらされました。医者になれ、弁護士になれとかって言われて……。でも、できると褒めてもらえるので一生懸命頑張りました。でも、母親は私が疎ましかったみたいでした。私が大学に受かった時は何もしてくれなかったのに、妹が短大に合格した時は大喜びで着物まで買ってやったみたいですから」

 実家とはすでに疎遠になっている。学部選びで父親のいうことを聞かなかった一件で生まれた溝は埋まらないままだ。
 「父にとって、私はお人形さんだったんですね。勉強ができる自慢の人形ですよ。でも、思い通りにならなくなった時点で捨てられた、そんな感じです」
 決して温かな親の愛情に育まれた子ども時代ではなかったようだ。だが、親となった今、彼女は自分が父親にされたことを息子にしているように見える。
 「ええ。同じことをしているかもしれません。でも、ちゃんとそれなりの道を進んでもらわないと。(勉強が)できないことは、全部私のせいになっちゃいますから。息子の成績のことで、夫にいろいろ言われるのが一番嫌ですね。それに、受験勉強はあの子のためでもあるんです。そこをわかってほしいと思います」

 中学受験に関しては、夫婦の意見は一致しているという。だが、そのほかのことで夫と話をすることはない。夫が週末に戻ってきても、出かける用事を作ってしまえば顔を合わせることもない。背中合わせのまま、夫婦として暮らしている。
 徐々に大学での足場もできてきた。あとは離婚のタイミングを計るだけだ。
 「修復? それはもう、ないですね。私は息子さえいればいいと思ってます。あの子がいるから頑張れるし。夫は給料を持ち帰ってきてくれればそれで十分。最近は浮気しているからか、私の行動にも何も文句も言いませんから。ただ、息子が私たちの不仲を悲しんでいることがわかったのは、ショックでした。もちろん気づいてなかったわけじゃないんですけど……」
 そう話した瞬間、ヨシミさんのまぶたはみるみるふくらんだ。
 彼女なりの離婚しない理由がある。けれど、そこを子どもに理解させることは難しい。夫とは背中合わせでも、子どもには母親として向き合わなくてはならないだろう。
 「今日は塾は休ませて、一緒に食事に行こうかと思います」
 涙を拭いたハンカチを丁寧にたたんで、彼女はコップの水を飲み干した。
(終わり)

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