夫は、子どものように泣きじゃくった。
「パパは小さい時から僕に何にもしてくれたことがないじゃない! だから、今回初めて僕のために動いてくれるんだと思ったのに……。結局ぽしゃっちゃってさ。期待させておいて、なんなんだよ。やっぱり、僕のことなんかどうでもいいんじゃないかっ!」
ぽろぽろと涙を流す夫に、多少同情はした。だが、キッチンで夫に飲ませる水をコップに注ぎながら、アユミさんはあんぐり口を開けた。
「40近い男のセリフとは思えませんよ。中学生だってあんな不条理なこと、言わないでしょう。自分の仕事を親にとってきてもらおうとして、それが失敗したからって親を泣いて責めるんですよ。完全に自己中心的ですよね。呆れちゃって、慰める言葉がなかなか出てきませんでした」
とはいえ、この一件で、夫が子ども時代から父親の愛情に飢えていたことを知った。夫はコップの水をもったまま、とつとつと話した。
父親に抱っこされたこともなかったこと。肩車をされたこともなく、遊んでもらった記憶は一切ないこと。近所の子どもが自分の父親に、キャッチボールをして遊んでもらう姿がうらやましくてたまらなかったこと。母親と仲が悪く、愛人宅で過ごしてほとんど家に帰らなかったこと……。
お金と教育環境は与えられたが、父親から真の愛情を受け取っていなかった。
アユミさんは夫が精神的に立ち直るまで、時間をおくことに決めた。
「でも、私も家にずっといては、夫のホモ問題ばかり考えてしまうでしょう。ストレスもたまるし。だから、また就職することにしたんです」
契約社員として、働き始めた。夫からは「好きにしていいよ」といわれた。仕事だけでなく、お茶やエレクトーンと趣味にも没頭し始めた。
しばらくたって夫も落ち着いた頃、彼女は夫に切り出した。
「あなた、やっぱりホモだよね。私、絶対的な確信があるの」
夫は何も言わず、頭を垂れた。
「私、離婚、考えるから」
「それだけはカンベンして」
「いやだよ。これじゃあ、子どもも産めないじゃない」
「そんなの、いくらだって方法はあるよ」
「どういうこと!? 人工授精ってこと?」
「悪いことじゃないよ。みんなしてるじゃん」
みんなしてるって……。それは、セックスしても子どもに恵まれない人たちがとる、最後の手段だ。「どうして私たちが……」と言おうとした彼女の言葉をさえぎって、夫が言った。
「だって、僕はできないんだもん。仕方ないじゃないか」
そういって、夫はまたもやさめざめと泣くのだ。
「私の気持ちはどうなるのよ。じゃあ、私に浮気させて。あなたは(セックスが)できないんだから、他の人と関係をもったっていいでしょう」
すると、夫はかっと目を見開いて怒った。「アユミが浮気するなんてダメ! 男の浮気は甲斐性っていうでしょう。でも、女はダメだよ」話にならないのだ。
すべてが平行線をたどった。
ベッドで眠る夫。隣のベッドにからだをすべりこませながら、いたたまれない気持ちになった。
「こうやって、私たちは心もからだも一生平行なまま、なんの交わりもなく過ごすんだって思うと、本当に落ち込みました。自分ではどうしようもない。それまでも仕事だ何だっていろいろ挫折は味わったけれど、自分が努力すれば乗り越えられるし、乗り越えてもきました。でも、この問題は夫にどうにかしてもらわないとどうにもならない。でも、本人は『たぶん、(ホモセクシャルを断ち切るのは)無理』とハッキリ言うんです。どうしようもないでしょう」
眠れない夜が続いた。すでに結婚した友人たちは子どもに恵まれ、なんだかんだと言いつつも幸せそうに見えた。
「共働きなのに夫が家事も育児も手伝ってくれない」
「父親不在で母子家庭みたいなもの」
そんな友人たちのグチは、アユミさんにとってはほんの些細なことに思えた。
「家事も育児もひとりでやったっていい。セックスできて、子どもがいて、普通の夫婦でいたいって思いましたよ」
偽らざる、彼女の本音だった。(後編に続く)
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