FILE.15 ドロー〜元カレってやつは
07.06.19
 イラストレーターのカンナさんは一度離婚している。
 離婚の直後、彼女はモテた。打ち合わせに行った先で口説かれ、男友達に告白され、酒場でも口説かれる始末。1週間に3人から交際を申し込まれたこともある。
 「離婚したらキレイになったよね、ってよくいわれました。私なんて美人の部類じゃないけどね。自分じゃよくわかんないけど、なにかおかしなフェロモンが出てたのかしらねえ」
 首をかしげながらぐふふふと笑った。
 しばらくは実家に身を寄せたものの、気持ちも落ち着き仕事も忙しくなった。昼夜逆転しがちなイラストレーターの仕事は、老いた両親の生活リズムと合わない。そこで、またひとり暮らしを始めることにした。独立する前に勤めたデザイン会社の仲間数人が、引越しの手伝いにきてくれた。

 そこに「元カレ」がいた。まだ独身だった。「彼女もいなくて」と頭をかいた。
 結婚する前に3年ほど付き合った。少し浮気っぽいところがあった。証拠をつかんだわけではないが、常に挙動不審なところがあった。一度は結婚を考えたが、彼の煮え切らない態度と自分のキャリアを前進させるために彼のもとを離れた。カンナさんはニューヨークに1年間留学。そのあいだにフラれたのだった。
 「もう、手紙はよこさないでくれって言われてさ。まだ、ホームシックも残ってたからすっごいショックだったよ。そのときは。そうなるかもってわかってても、本当にそのときがくるとやっぱ動揺するよね。二晩泣き明かしたわよ」
 とはいえ、一度は好きになった相手だ。会えば楽しい。昔話も3年分あるから延々と続く。離婚の痛手が癒された。それに、二晩泣かされた元カレは、友人から離婚のいきさつを聞いたようで、カンナさんのことを気遣ってくれた。うれしかった。
 けれど、引越しの後、数か月は会うこともなかった。互いのメールアドレスや携帯番号は教えあったものの、一度フラれたカンナさんは自分から電話するのも気が引けた。そしてその間もモテ続けた結果、ひとりの男性にひかれていった。

 「その男性とはよく飲みにいく程度の仲でね。なかなか発展しなかった。向こうは30歳半ばだったし、私も30歳くらいで、離婚からまだ1年たってなかったからお互い慎重だったのね」
 その男性と微妙な距離にいるころ、突然元カレからデートの誘いがきた。
 「久しぶりにデートしよう」と、メールに書いてあった。
 「何回も言うけど、一度付き合ったオトコ、元カレってやつは、なんとなく気が許せるし楽しいのよ」
 何度かデートした末、タクシーの中で抱き寄せられキスした。
 「キスがうまいヤツでね。相変わらず上手かったっす。で、このままホテルかな、彼のマンションかなって思ったの。ま、一回くらいはいいかって。好きだった男性はいたけれど、まだ男女の付き合いじゃなかったし、なにか告白されたわけじゃなかったしね」
 だが、元カレは、「お楽しみは今度にしよう」と言った。それなのに、「結婚してくれないか。真剣に考えてほしい」といきなりプロポーズ。
 そして、続いて出た話は、老いた両親のこと(元カレはひとりっ子だった)、年収1000万でマンションもすでに購入してあること、自分の役職のことなど。多くは自慢話と家庭事情の説明だった。
 そして、言った。「おまえなら、おれの親とうまくやってくれると思うし」
 興ざめだった。

 「いきなり親とうまくやれるからっていわれてもねえ。キスだけで、だよ。まあ、昔してるから君とのセックスはわかってます、ってことだったのかもしれないけど」
 その夜、タクシーでアパートまで送ってくれた。
 彼女は降りて手を振ったあと、一度は帰りかけたが立ち止まった。信号待ちの交差点で、彼のタクシーが止まったからだ。彼が自分のほうを見ているかもしれないと思った。けれど、カンナさんの目に映ったのは、素早く携帯を取り出し話し始める後ろ姿だった。
 直感だった。
 彼にはほかに女性がいる。「彼女もいなくて」は嘘だ、と。
 お楽しみを次回にしなければならない「理由」があるのだ。

 1週間後。夜遅く電車に乗っていると、彼から誘いのメールが入った。彼女は電車を降り、ホームから彼に電話した。
 「ど、どうしたの? 返事はメールでいいよ」
 明らかに慌てた声だった。しかも、小声で。
 ホームに滑り込んできた電車の音にかき消されないよう、カンナさんは大きな声で言った。
 「結婚はァ、お断りしまーす!ほかに好きなひとがいるんでー」
 こぶしでぐいっと携帯電話を切った。

 「ま、仕返しってとこかな。元カレって面白いモンでさ、何年も前に過ごした相手でもいろんな癖とか行動パターンは憶えてるもんだよね。彼女の存在? わかんないけどね。でも、不信に思ってる相手と一生暮らすのは疲れちゃうでしょ。だから断ったの。今はいい思い出。1勝1敗だから引き分け(ドロー)だしさ」
 彼女はそう言って微笑んだ。
 その後、当時ひかれていた男性とは進展せず、数年後に新たな出会いがあり再婚。今は幸せに暮らしている。元カレは「いまだにひとり」らしい
(終わり)
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