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FILE.10 産みたくない私
【前編】過保護な母 07.03.13 |
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サトミさんは33歳。フリーの編集者だ。数年前にプロダクションから独立し、会社員の夫と二人で暮らしている。最近、手がけていた大きな仕事が終わったのでまとまった休みをとっていたが、帰省先で転んでしまい腕を骨折してしまった。利き腕ではなかったので、ひとりで飛行機に乗って帰ってきたという。
「帰る時、うちの母がうるさいんですよ。心配だから東京まで一緒に来るっていうんです。利き腕じゃないし、全然大丈夫だって言ってもまったく人の話を聞かない。車で送っていったほうがいいかなとか、本当に過保護なんです」。
うーん。過保護ねえ。お母さん、単にかわいい娘のことが心配なんじゃないの?――そう言ってみたが、彼女は首を横に振る。
「いいえ。違いますよ。私が今までどれだけ母親の過保護に耐えてきたか。私が本当に嫌がってるのにやめてくれないんです。妹がひとりいますけど、妹も毛嫌いしてますね」。
彼女は顔をゆがめ、過去の母親の過保護ぶりを話し始めた。まるで、からだに受け付けられない異物を吐き出すように……。
母親は彼女によく宅配便を送ってくる。地元でできた野菜や漬物が入っていることが多いという。地方出身の人なら誰しも経験があることだ。母親からの心のこもった宅配便に涙した人もいるだろう。だが、サトミさんの母親が送るものはちょっと変わっている。夫婦二人暮らしの彼女のもとに、白菜4つ、ネギ5束など大量に送られてくる。しかも、野菜と一緒に入っているのは、キッチンペーパーやティッシュペーパー、トイレットペーパーなどの日用品なのだ。
「うちは近所づきあいもないから野菜を届ける相手もいないし、そんな大量に送らないでって、本当に夫も私も迷惑だからって何度も言ったんです。それでも、頻繁に送ってくるんです。キッチンペーパーとかもすっごいたまっちゃって。今度こそ捨てるよ、捨てたからねっていってもやめてくれない。っていうか、こっちの話をまったく聞いてないんですよね。え? 母の歳ですか? まだ50代ですよ。呆けるような歳じゃないです」。
サトミさんはそもそも、親との関係が希薄だった。結婚を機に上京した30歳まで実家にいたが、接触することをずっと避けてきた。20代後半になっても門限は夜9時。行動にはいつも口出しをされる。外出するときは行き先を尋ねられ、男友達から電話がかかれば「娘とはどういう関係で?」とさぐりを入れる。外出先までついてこられたこともあった。家にサトミさん宛の手紙が届くと、勝手に読んでしまう。妹の交際相手の実家を調べたり、興信所に依頼していたことが発覚した時は怒りを通り越して呆れ果てた。
「興信所ですよ。信じられます? この人は心底自分の子どもが信じられないんだなって思って、もうとことん母が嫌いになりました。手紙のことも絶対やめてくれない。母親だから、っていうのが母の言い分なんです。父親とはまあウマがあうんだけど、その父も母のことはもう相手にしてないって感じですよ」。
高校時代、大学時代と、うちに帰って夕食を食べた後、夜はいつもひとりでふらりと出かけた。友達の家に行ったりもしたが、彼女の主な「憩いの場」はコンビニだった。
「コンビニって店全体が明るいでしょう。蛍光灯がパーッと明るく照っていて、“さあ、いらっしゃい”って感じ。ウエルカムで迎えてくれるように感じたんですね。いろんなものがあって、いろんな人がいてどんなに長時間いても、何か買ってビニール袋をぶらさげておけば別に文句も言われないでしょう。そこでいつも長々と雑誌や漫画を読んでましたね」。
後々、編集者になったのだから、コンビニで雑誌を読み漁った経験は生きたのかもしれないが、過保護な母親との同居は、彼女にとって大きなストレスだった。だったらさっさと家を出て自立すればいいのにと友人からも言われたが、地方のそれなりに由緒ある旧家に生まれた彼女にその道はなかった。
母親から離れることができたのは、結婚したからだ。
「メーカーの地方支店勤務だった夫は、結婚が決まる前に本社のある東京に異動になったんです。ああ、この人と結婚すれば家を出られるってうれしかったですね」。
母親と離れて3年になる。だが、彼女はぽつりとつぶやいた。
「でもね、離れていても、私はまだ母の呪縛から逃れられないんですよ」。(続く) |
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