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FILE.7 ファザー・コンプレックス
【完結編】心の底から愛せる人を 07.02.06 |
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式日と新婚旅行もあわせて10日以上の長期休暇をとるために、彼女は忙しく働いた。ちょうど大きなプロジェクトを抱えていた。責任が重く、プレッシャーに苦しんでいた。結婚式の衣装の件などすべて彼女が折れたのは、その忙しさのせいでもあった。彼の実家にいちいち出向いて話をする時間があれば、休日も出勤して仕事の精度を上げたかったのだ。
すでに新居でふたりの生活を始めていたが、出張や残業で毎日のようにユイさんのほうが帰りが遅かった。暮らし始めた当初こそ一緒に外食をしながら「いい仕事してくれよな」と言ってくれた彼だったが、次第に不満を漏らすようになった。ある夜、残業を終えてタクシーで帰宅したら、マンションの部屋の灯が消えている。いつも待っていてくれた彼だが、疲れて寝てしまったのだろうと彼女は静かに鍵を開けた。
すると、真っ暗なリビングで彼がタバコを吸いながら座っていた。「ただいま。ごめんね。遅くなって。真っ暗だったから寝てると思ったよ」と言うと、彼は「これじゃあ、独身時代と変わらないよなあ」とつぶやき寝室へ行ってしまった。それ以来、毎晩ユイさんが帰宅しても、彼はもう眠ってしまっていた。テーブルのうえに飲みかけのウイスキーとグラスが転がっていることもあった。異動で部署が変わった彼は出勤が早く、彼女が起きたときにはもういない。メールをしても返事はない。ふたりはすれ違うようになった。
明らかに彼の様子はおかしかった。ユイさんは彼と同じ部署の同僚に尋ねてみた。すると「彼ねえ、最初のプロジェクトがうまくいかなくて、落ち込んでるみたいだよ」と教えてくれた。彼女はその日仕事を切り上げ、彼に「今日はお鍋だよ」とメールをしてから夕食の買い物をし、早めにうちに戻った。
だが、彼が帰宅したのは午前2時だった。
「仕事を切り上げてわざわざ早く帰ってきたのにってイラつきました。でも、まず彼の話を聞かなくちゃって思って……。寝ずに待ってました」。
彼女は、「ねえ、そこに座って。話しようよ」と切り出した。夫は座った。彼女は、すれ違っているけれど、仕事をやりきらないと安心して結婚式にのぞめないこと、彼が落ち込んでいるなら、結婚するのだからそういうことも話して欲しいといったことなど、いろいろ話した。だが、彼は押し黙るだけだった。
「ねえ、ちゃんと対等に話しようよ。今からこんなんじゃこれからどうするの」。彼女が少し強い口調で言うと、彼はようやく口を開いた。「別におれの仕事のことはいいよ。おれはおまえみたいに会社背負ってる人間じゃないし。仕事はほどほどにやるよ。それより、おまえ、今日灯りのついてない家に帰ってきてどうだった? 毎日灯りがついてないうちに帰るおれの気持ちがわかった?」。
ユイさんは驚いて何もいえなかった。
おれはおまえみたいに会社背負ってる人間じゃない、って?
仕事はほどほどにやるよ、って?
電気のついてない家、って?
彼のセリフのひと言ひと言が、頭の中をグルグル駆け巡った。
「もうすっごいショックでした。彼はそんなふうに思っていたのかって」。
ユイさんは「じゃあ、私が先にうちに帰ってないと不満なんだ。いい仕事しろよって言ったのはウソだったんだ」と言った。彼は再び押し黙った。
それまでダブルベッドで背中合わせで寝ていたが、ユイさんは自分が独身時代に使っていた布団を引っ張り出してその夜は別室で寝た。
時間がすれ違っていたふたりは、心もすれ違うようになった。
それでも、ユイさんは何度も彼に話し合おうとメールをした。だが、彼は出張を作ったり、外泊するなどして彼女を避けた。
「それまでも、けんかしたら譲らなくて。こちらから謝ったりなだめなきゃいけないところのある人でした。お互いに弱くなったら支えあいたいし。私だって支えて欲しいときもある。私はそういう対等な関係でいたかった」。
ひとりの時間、彼女は婚約解消を真剣に考えるようになった。だが、なきものにした命のことを思い出すと、思い切った行動に出る気持ちは萎えていった。
そんなとき。ある彼のいない夜、彼の母親からこんな電話があった。
「あの子、落ち込んでたわよ。あなたが全然妻らしいこと、してくれないって。今からこんなことじゃ困るわ。夫婦はね、女性がうまく手綱を握らなくちゃ。あなたはしっかりしてるからあの子を任せられるって、私たち、安心していたんですよ」。
ユイさんは電話を切ってから、自分の荷物をまとめた。衝動的だったのか、なんだったのかわからない。だが、心のどこかで冷静だったようにも思う。彼は翌々日から出張だ。2泊の荷物でいい。新婚旅行も式場のキャンセルも今なら半額以下だ――。そんなことを考えていた。
婚約は解消された。そして、彼女は抱えていたプロジェクトをやりきった後、彼のいた会社をあとにした。今は転職先でバリバリ働いている。
「彼のお母さんからの電話で吹っ切れましたね。息子さん任せられても困りますって感じで(笑)。お互い思いやりが足らなかったですね。でも、もういいんです。たぶんあそこを乗り切って結婚しても、きっとうまくいかなかったと思う。
今考えると、彼は私だけでなく、だれにでも従順な男だったわけです。特に母親にはね。私はその従順さっていうか人任せなところを、対等に扱われているって思い違いしていたのかもしれません。父親の女性を縛るところが大きらいだったから。
でも、よくよく考えると、父は子どもの前や外で尊大に振舞うけれど、実は母を守っていたんだと思う。「お父さんは頼りがいがあるから」って母も言いますからね。歳をとった今はお尻に敷かれてるみたいですけど。私も本当はそういう男性を求めてるのかなあ。今はまだよくわかりません」。
パートナーを選ぶとき、女性は自分の父親の像に悩まされる。だれもがファザーコンプレックスをもっている。ユイさんは、父親の尊大な表の姿、頼もしい裏の素顔、その両方の間で揺れている。迷いながらも、相手がどうあるか、どう扱ってくれるかよりも、自分がどうありたいかを考えるようになったようだ。
この婚約破棄でわかったことがひとつだけあると、彼女は言う。
「男の人から愛されるよりも、自分が心の底から愛せる人を見つけたほうが絶対いいと思いました」。(終わり) |
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