FILE.1 最後の電話
【中編】うつ病になった母 06.09.12
 「私は母に憎まれていたんですよ」。リョウコさんは、今度はハッキリとそう言った。百点の答案を持ち帰っても「お母さんなんか勉強したくてもできなかったんだからね!」と激しい言葉を投げつけられた。できのいい長女への憎しみの反動か、成績も要領も悪い弟は逆に可愛がられた。「○○君はお母さんがついてないとダメなんだよねえ」と甘やかされていた。

 リョウコさんがもっともショックだったのは、地域でも一番の進学校である県立高校の入学式という晴れの日に、母親に言われた言葉だった。
 「いい高校に入っても大学なんか行かせないよ。おまえは高校出たら就職だからね」
 もう、何もしたくない−−。子どもの頃から母親の言うなりになって、笑顔を自分に向けさせようと一所懸命だったリョウコさんだったが、この日から何に対しても無気力になった。
 「もう、何やってもだめなんだって思いましたね。勉強するのもやめました。表には出さなかったけど、自暴自棄になってましたね。毎日、死にたいと思ってました。何度かカミソリとか買ってきたこともありました。思春期だったから、よけい不安定じゃないですか。よく死ななかったと思いますね」
 死なずにすんだのは「家を出る」という希望があったからだ。「自分の居場所は母親のところじゃない、別にここにいることはないと気づいたんでしょうね。バイトして上京するお金を貯めました」。

 高校卒業後、家を出た。自分でアルバイトをしながら服飾デザインの専門学校に通った。学歴ではなくセンスや実力が試されるもの作りの世界で、彼女はやりがいを感じながら仕事を続けた。
 この状況なら、勘当同然で出てきたのだろうと思ってしまうが、そうではなかった。
 「母親にたて突くっていうか、恨みがましいことを言ったり、本音でぶつかるなんて、とてもできませんでした。家を出ても週に一度くらいは電話をしていたし、盆暮れはよっぽど精神的に滅入っていなければ、気持ちを奮い起こして実家へ帰りました」
 母親から逃れようとしても、18の歳まで“いい娘”を演じてきた習性からはそうそう抜け出せなかった。

 26歳の時、結婚した。
 母親は式の間中、不機嫌だった。親戚や叔母たちから「一人娘が嫁ぐのが悲しいのね」と声をかけられ、首を横に振る母の横顔が忘れられない。
 「複雑だったのでしょうね。娘が夢破れて地元に帰ってくる、というのが理想だったと思う。大学にやらなかったのに、仕事も見つけて旦那も見つけてきた。腹立たしかったんだと思いますよ」
 そう言って、リョウコさんは哀しそうな目で薄笑いを浮かべた。

 それから10年以上たった。
 彼女も二人の子どもに恵まれたが、高校卒業後、そのまま地元に残った弟も家庭をもち、子どもは二人いる。だが、妻と仲が悪く、けんかをしては自分が母や父のいる実家に帰るようなことを繰り返していた。
 リョウコさんの母親は、うつ病になった。(次週に続く)