FILE.5 私の歩く道
【中編】自閉症の子を抱えて 06.12.19
 長男を障害児のための通所施設に入れたハルさんは、自分と同じように自閉症の子どもを育てる親たちと知り合い、癒された。自閉症児の療育の本など、紹介されたものは片っ端から読んだ。息子を理解できるようになり、子育てに少しずつ自信を持てるようになってきた。
 一方、夫はハルさんが薦める本を読もうとはしなかった。「自分の子どもなんだから、自分が一番わかる」というのが夫の口癖だった。施設の送り迎えはしてくれたが、親子一緒の活動には参加してくれない。妻と一緒にわが子の療育に熱心に取り組む、よその夫の姿を眺めながら、彼女は落ち込んだ。
 「当時の担任の先生への連絡帳を読み返すと、家庭での子どもの様子ではなく、夫のグチばかり書き連ねていました。本当に不安定だったんだなと思いますね。障害児の親だということがそんなに嫌なの?って、施設に送っていくとすぐに車で帰っていく夫の後姿をみながら心の中で叫んでいました。“この子の親です”って、どうして堂々といえないの?って」。
 「この子を抱えて、この人とやっていけるだろうか」と不安を抱き続けた。
「なんで私だけ苦しい思いをしなくちゃいけないの?っていう、気持ちでしたね。いつもこころのなかで繰り返していました。私だけ、私だけ、私だけが大変な思いをしているって」。
 そんな夫婦の関係に、しばらくして変化が起きる。

 ちょうど、下の子も生まれ、看護師としての仕事も再開し、ハルさんは目の回るような忙しさだった。
 そんななか、施設に通い始めた長男は新しい環境を迎えたこともあって、不眠がひどくなった。夜、まったく寝ない。ひとつの遊びにこだわるのが自閉症児の特徴といわれるが、長男はそのこだわりがコロコロ変わるタイプだった。ミニカーで遊んでいたかと思うと、積み木を出してくれとせがむ。「寝る時間だから、もうおしまいよ」。そういっても、「イヤ!イヤ!」と激しく首を振って抵抗した。
 「生活の中で行動の切り替えがなかなかできないのも特徴なんです。“おしまい”がわからない。それを成長するにつれて少しずつ矯正していくんだけど、親もすごく根気がいるんですね。おまけに、下の子も夜泣きがひどくて。真夜中に下の子をあやしながら、上の子の世話をしなくちゃならない。もう、自分もまったく眠れないものだから、本当にイライラして。上の子をよく叩きました。特に夫が夜勤でいないときは、たがが外れたようになってしまって。今思えば虐待だったと思います。叩いたり、グーで頭を殴ったり……」。

 ある冬の夜のこと。下の子をおぶって、なかなか寝ない長男にジャンパーを着せ、木枯らしが吹き凍りついた道を散歩した。運動させると疲れて寝ることもあるからだ。けれど、息子はなかなか寝ない。「あれ、とって、とって」と、たんすの上にあったおもちゃ箱に、背伸びして手を伸ばした。ガシャン!と箱がひっくり返った瞬間、彼女はわが子を蹴った。「あっち行って!ママのところに来ないで!」。畳の上で亀のように丸くなって震える子を、何度も蹴り上げた。
 その瞬間、別室で寝ていた夫が子ども部屋に飛び込んできた。何も言わず息子を抱き上げ、自分の寝室に連れて行った。

 その日以来、夫は夜勤の日以外は毎日息子と一緒に寝るようになった。そして、施設への送り迎えだけでなく、週に一度の担任との面接に同席するようになった。そのうち、彼女が仕事で面接に行けないときは、夫が一人で施設に足を運んだ。他の親と一緒のグループミーティングにも出るようになった。
 「夫は子どもに対する私の暴力をとがめもしないし、あの夜のことも何も言いませんでした。でも、あの夜から、夫は確かに変わったように思います。今思えば、私は自分の気持ちを受け止めてくれない夫への腹立たしさを、息子にぶつけていたんでしょうね。眠らない息子じゃなくて、夫に腹を立てていたんです」。
 ハルさんの頬に涙がつたった。(次週に続く)