FILE.30 愛されたい私
【前編】夫より自分を愛してくれる人 06.07.25
 シホさんは短大を卒業し商社で5年働いた後、25歳で結婚した。「そのころの私ってキャリア志向もなかったし、結婚に向いているのかなって思ったんですよね」という。交際期間は2年。コンピューター関連に勤めていた2歳年上の夫を選んだ理由は、「理数系の人は頭がいいと思ったから」と答えた。「私、ファザコンなんですよ。父親に似たタイプを好きになるの。父も理数系だったから」
 そのうえ、口数が少なくクールな雰囲気が漂うところも父親とそっくりだった。
「クールな彼を振り向かせたくて一生懸命だった。プロポーズされたときは、やっと(彼を)“手に入れたんだ”って思いました」
 高学歴、理数系。「でも、条件だけで選んだ結婚じゃなかったと思う。そのときは彼のことが本当に好きだったんですよね。ルックスはそんなによくなかったけど」と笑って付け加えた。満足のいく結婚だった。

 ところが……。交代勤務で週に2回しか帰宅せず、他の日も残業続きの夫はいつも疲れていた。腕によりをかけて料理を作っても、いつも部屋をきれいにしていても、シホさんがおしゃれしていても、褒め言葉は返ってこない。
「ほめてくれるわけ、ないんですよ。父と同じ人、選んじゃってるから。ほら、IQが高くてもEQが低い人っているじゃないですか。理数系に多いタイプ。相手の気持ちを読み取るのがヘタなんですね。父もそうでしたから」
 EQ(Emotional Intelligence)は、「心の知能指数」と呼ばれるもので、いうなればコミュニケーション能力のようなもの。子どものときから、両親のギスギスした夫婦関係をみてきた。母親は「パパ(夫)は、私の話を聞いてくれない。ご飯を作ってもおいしいといってくれたこともない」とこぼしていた。
 「母は父にうまく甘えられないんですね。私からみれば単にすれ違っているだけなのに。母はM(マゾヒスト)っぽいんですよ。わざと自分を苦しいほうへもっていって、苦しんでいる自分に酔ってる、みたいなところがあった」
 母親は自分から「おいしい?」とも尋ねなかった。戦前生まれの女性たちのほとんどはそうであろう。女性の地位や立場が開かれていく時代の波の中で、自分の気持ちだけがぽつんと取り残されていく。シホさんの母親も、そんな焦燥感や寂しさを味わっている世代だった。
 そんな母親に同情しながらも、「ファザコン」のシホさんは父親を否定できず、逆に惹かれていた。だから、父親と似た夫と結婚したのだが……。そして、孤独なシホさんは外に出て働くことを考えたが、夫は妻が仕事をもつことは反対だった。
「奥さんにはいつも家に居て欲しい人だった」

 そんなとき、たまたま公団住宅が当たり引っ越すことになった。「環境がかわれば、(夫との)関係も変わるかも」と期待したが、逆だった。
 引越しの日。近隣に住むシホさんの両親も手伝いにきてくれた。それなのに、夫はうずくまるようにして寝ていた。起き上がっても、何もしない……。いや。何もしないのではなく、あまりに仕事がハードだったため、口もきけないほど疲れていた。シホさんは両親に、「○○くん、すごく疲れてるみたいだから」と言い訳をした。「でも、夫は疲れ果てているんだと心の中で思っていても、本音は腹が立つというか、もやもやした気分でした」
 「もともと口下手でEQが低い」(シホさん)夫は、疲労もあってか、手伝っていった妻の両親に対し、お礼の言葉も言わなかった。怒りを抑えていたシホさんは、両親が帰った後むくれた。ずっと、何日間もむくれっぱなしだった。夫婦は冷戦状態に突入した。
 「むこうは私がむくれて口もきかないのに、どうしてなの?とも聞かないんですよ。私も何も言わなかったけど」

 数か月後、シホさんは実家に戻った。「自分は夫から愛されてないんじゃないか」という不安が風船のように膨らんだ。夫は追いかけてくるどころか、2か月たっても何の連絡もしてこなかった。心の中でバン!と風船が弾ける音が聞こえたような気がした。「私って行動力、判断力があるので、すぐに実家を出て独立して再就職もしちゃったんです」“バン!”は、新たな人生へスタートを切るピストルの音になった。
 そんなとき、吹っ切れて勢いを取り戻したシホさんの前に、新たな男性が現れた。結婚前に交際を申し込んでくれた人だった。
 「シホはこんなにいい子なのに」、やさしい言葉が、傷心の彼女を癒してくれた。
 「夫より自分を愛してくれる人がいるんだってうれしかった。愛してくれない夫はいらないや、って思いました」
(次週に続く)