FILE.5 アタシの人生、一度きり
【前編】開き直り婚 2005.03.29

 マリコさんは二人の子どもを育てる37歳の専業主婦。27歳で7歳上の夫と結婚した。
 「同じ年代の男性とばかり付き合っていたんだけど、どの子もデイトは雑誌に載ったおすすめコースをそのまま行ってみたり。まあ、そういう時代だったんだろうけど、私はそれがシャクにさわったの。いちいち、マリコちゃんはどうしたい?何したい?って聞いてくるし、なんだか頼りなかった。そんな時、(それまで付き合った子とは違うタイプの)大人びた夫が現れたんだよね」。
 友人に紹介された34歳の男が、魅力的に見えた。タバコをくゆらす横顔、ぶっきらぼうな言葉使い。何のごたくも並べずに「明日何時になるかわからないけど迎えに行く」とだけ言い残し、翌朝黒いスポーツカーでやってくる。
 「ハードボイルド系っていうの? まあ、そこまではかっこよくないんだけど、そのときはそういうふうに見えたのよ」
 地方出身で専門学校を出た後、事務系の仕事をしながらつつましく暮らしていたマリコさんに、夫はまぶしく映った。「人生に疲れてたんだよね。仕事は忙しいし、でも周りに合わせてちょっと遊ぶとお金はなくなってゆく。なんか、もう、楽になりたいって思った」。
 「ヤツ(夫)のことをすごい好きだったかと聞かれると、そうでもなかったんだよね。でも、子どもが欲しかった。その頃、周りにけっこう離婚する人が多かったんだけど、見合い結婚のほうが離婚率低いんだってさ、なんて友達に聞かされると、そうだ、結婚してからお互いを知り合えばいいんだ、ダメだったら別れればいいんだし」
 半ば「開き直り婚」みたいな気分だったが、子どもが生まれるまでの新婚生活は楽しかった。料理を作って夫の帰りを待つ時間、休みの日をどう過ごすか考える時間。バブル期に働きづめだった疲れたマリコさんは、穏やかな毎日に心もからだも癒された。「今思うと、なんだか結婚ごっこみたいな感じなんだけど」と照れたように言った。

 「結婚してから知り合えばいい」と思っていたはずが、現実は甘くはなかった。一人目を産んでからは「しまった、って思うことの連続」だった。
 転勤してすぐに出産。友人も知り合いもいない土地での子育ては孤独だった。2時間か3時間おきくらいの授乳、夜泣き。泣くたびに「オムツ? おっぱい? 暑いの? 寒いの?」と、おろおろしてしまう。抱っこをしても泣き止まない子どもを、泣きながらあやし続けた。
 どんな夜でも、夫は絶対起きてこなかった。やさしい言葉一つかけてくれない。休みの日の夕食。食事の途中で子どもがぐずって授乳している間、夫は食事をすませてテレビの前に座りタバコを吸い始める。子どもは寝かせようとすると泣くので、彼女は仕方なく抱っこしたまま冷えたご飯に箸をつける。その様子を見ないふりをしてテレビを見続ける夫。
 「抱っこしてて、って声をかけても聞こえないふりをするんですよ。完全に無視なの。夜もそう。(精神的に私は)だんだんおかしくなってきちゃった」
 しゃべることもできなくなり、うつ状態になった。育児ノイローゼだった。「(精神科の)病院に行きたい、連れて行ってって頼んだの。でも、そんなのダメだ、近所の人に気づかれたらどうするんだって言うわけ」
 うつ病や育児ノイローゼがまだ深く認知されていなかったこともあってか、夫は猛反対した。ある朝、彼女は泣き叫びながら出勤する夫にすがりついた。「行かないで、私を病院に連れて行ってって泣いたの。それでも、ヤツは私を足蹴にして出て行った。そのときだよね。いつか必ず離婚するんだって思ったの」。台所のビニール床の上にしゃがんだまま、夕方までずっと赤ん坊と泣き続けた。
 けれど、離婚はたやすくなかった。実家の老いた両親は自分たちの生活さえおぼつかない状態で、頼れる状況ではなかった。
 「事情を知る友人には実家に戻ったらいいじゃないって言われたし、実際にシングルマザーの人で実家の支援を受ける人は多いですよね。でも、私にはそんなこと考えられなかった」。生活に追われる両親のもとで育ったマリコさんは、親に相談したり頼ることはもとより選択肢になかった。

 夫とは必要最低限のことしか会話をしなくなった。夫婦生活のうえでも拒否し続けていた。ところが、ある夜、セックスを強要されてしまう。
 「もう、あんなのレイプ同然。力の弱い自分が悔しかった」
 そして、あっけなく二人目を妊娠した。
 望んでいない妊娠、出産だったが、根っから子ども好きの彼女は、子どもたちを一生懸命育ててきたようだ。「子どもは本当にかわいい。大嫌いな夫の子どもだけど、私が産んだ子だから。だから、いいの」。
 子どもが二人になり、ますます離婚は難しくなった。

 夫への不満は募るばかりだった。妻がうつ病になったときに「恥ずかしい」と病院にも行かせなかった夫は、2年前からうつ病になり通院していた。会社で思うように昇進ができなかったようで、会社を半年間休んだこともあった。土日に家族で外出した思い出もほとんどない。「土日は会社が休みなのだからオレは休むと平気で言う」(マリコさん)。夫は、ファミコンが好きで休みの日は自分の部屋に引きこもる。
 夫は、上の姉二人と年が離れようやく生まれた待望の長男だった。かなり過保護に育ったらしい。結婚するまで一人暮らしの経験のない「箱入り息子」だったのだ。
 「その分、打たれ弱いっていうか。何かうまくいかないことがあると他人のせいにする。自分が認められないのは上司が悪い、世の中が悪い、運が悪い、って。愚痴とか聞いてると私はもうムカムカしてくるくらい。犯罪者って自分の不幸な境遇を他人のせいにするでしょ。そう考えると、もう一刻も早く離れなければと思った」
 ひと呼吸置いて、しみじみ言った。
 「男はさあ、経済力じゃないんだよね。生活力なんだよね」
次週に続く)