FILE.4 二度目の結婚、ホントにおいしい?
【前編】二つの円 2005.03.08

 陽子さんが、最初の結婚をしたのは24歳の春だった。短大を卒業後に勤めた旅行会社は、彼女いわく「超面白くないシゴト」。中高年対象の北海道旅行ツアーの添乗員などをやらされ、宴会場で『知床旅情』などを歌わされたりした。
 3歳年上の同僚と交際を始めて2年ほどたった頃、プロポーズされた。
 「短大を出て3年くらい働いたら結婚しようって決めていたし、言われたときは待ってました、って感じでした。彼は温厚で優しかったし。すごく夢中になってたわけじゃないけど好きだった。結婚の決め手? うーん。何より条件がよかったからだと思います」
 結婚の条件が「三高」といわれた時代。自分より背が高い、学歴が高い、年収が高い…。彼はすべてをクリアしていたうえに「家柄」がよかった。芦屋に実家のあるエリートサラリーマン。父親は一流企業の役員だった。
 「祖父の代から、なんていう名家ってわけじゃないんだけど、相手の両親なんか、うちの親のことを話すときは、”そちらのお父様は、お母様は”っていう言葉遣いなんです。正直いって、あら、素敵!って感じで舞い上がってたような気はします。今思えば、なんだかなあって自分が恥ずかしいんだけど。きっと、ちょっと自分が育った世界と違うものへの憧れとか、結婚そのものへの憧れが強かったんだと思う。プチセレブしてみたかったんですね。きっと」
 陽子さんの実家近くで新婚生活が始まった。会社は寿退職し、専業主婦になった。

 夫婦の仲がギクシャクし始めたのは1年ほどたってからだ。
 きっかけは、彼女が始めたコーヒーショップのアルバイト。妹も同じ店でバイトしていて、通っているうちに誘われたのだった。ところが、夫は猛反対。「なんで喫茶店なんかでバイトするの? 水商売じゃないか。恥ずかしいよ!」となじられた。
 夫は紙とボールペンを出してきて、「夫婦の定義」みたいなことを話し始めた。
 紙に大きな円を一つ描いて「これはオレ」と言った。その中に小さな円をまた一つ描くと「中のはおまえ」。まるで大きな二重丸みたいな図だ。そして、小さな円をボールペンでぐるぐると塗りつぶしながら「妻はね、夫の中にいるわけ。こうなんだよ」と念を押した。
 陽子さんはその「夫婦の定義図」をみて、ぞっとした。
 「ちょっと待ってよ!」とペンを取り上げて、紙に二つの同じ大きさの円を「交わり」の部分ができるように二つ並べて描いた。それこそ小学校の算数の時間に習った「交わり」の図だ。そして、「交わり」の部分を黒く塗りつぶしながら訴えた。
 「夫婦って言うのは人間対人間じゃないの? 交わる部分もあれば、交わらない部分もあるよね。交わらない自由な部分を、お互いがそれぞれ尊重すべきなんじゃないの?」
 夫は「へっ?」と苦笑してから「何いってんだ!こうなんだよっ!」と、妻の描いた交わりの図に大きな「×」をつけた。まさか、この×印が自分の戸籍につくことになるとも知らずに…。
 「ああ、夫は私を縛りたいんだって、あらためてわかりましたね。それまでは、私に関していろいろ詮索することがあっても、やきもち焼きなのかなってうれしかったりした。でも、この日くらいから、もう家の中にいるのが窮屈で窮屈でたまらなくなった」
 喫茶店のバイトは辞めなかった。そして、そこの従業員だった2歳年下の男性と恋に落ちてしまう。「夫と比べたら学歴もないし、田舎出身の素朴な男の子でした。夫の対岸にいるような人。でも、その子の前では素直に自分をさらけ出せた。気持ちが楽になった」

 ある日の夕方、自宅の前の坂を買い物袋を下げて登っていたとき、急に虚しさを感じたという。
 「ああ、私は夫に縛られたまま、何年も死ぬまであの人の食事を作るために野菜や肉や魚を買ってこの坂を上るんだ。そう思ったらたまらなくなった」。それまでは「登っていくと家が少しずつみえてきて楽しかった」場所だったのに。
 陽子さんは、買い物袋を玄関先に置いたまま、夫の前から姿を消した。
次週に続く